王貞治超えの56号、令和初の三冠王...ヤクルト小川GMに聞く「村上宗隆はいかにして日本人最強打者となったのか」
ヤクルトの村上宗隆が、ペナントレース最終戦でDeNAの入江大生から王貞治氏を超える56号アーチを放ち、日本選手シーズン最多本塁打記録を更新した。さらに令和初となる「三冠王」を獲得、チームもリーグ連覇を達成するなど、押しも押されもせぬヤクルトのリーダーとなった。
村上は、2017年に九州学院(熊本)からドラフト1位でヤクルトに入団。1年目から一軍出場を果たし、2年目には36本塁打を放つ活躍で新人王を獲得した。そんな村上を当時監督として見ていたのが現ヤクルトGMの小川淳司氏だ。村上はいかにして成長してきたのか、小川GMに話を聞いた。この時点で王貞治氏の持つ日本選手シーズン最多本塁打記録の55本に迫っていた。
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打撃だけならすぐ戦力になる
── 小川GMが監督をしていた2017年のドラフトで、九州学院(熊本)の村上宗隆選手を獲得しました。最初に会った時の印象を教えてください。
「体がデカいというのがすごく印象に残っています。逆方向に長打を打てる選手という評価を聞いていたので、将来の"4番打者"という期待は素直にありました」
── 1年目はキャンプ、公式戦と二軍スタート。ファームからはどんなレポートが届いていたのでしょうか。
「まず1年間は徹底して守備を鍛えるというところで始めました。開幕から4番で使っていたのですが、シーズン途中には『打撃だったらすぐに一軍でも戦力になります』という話がありました。一軍のほうでも『村上を見てみたい』という声も随分とあったんですよ。ただ、『見てみたい』というだけで昇格させるのは、チームとして考えた時にまだ難しいんじゃないかと。高校時代はずっと捕手で、三塁手としてはゼロからのスタートでしたので......僕のなかには『もっと修行を積んで』という思いが強かったんです」
── そうしたなかで1年目の9月16日、チームが上位争いをしている時期に村上選手を一軍登録。その日に「6番・サード」で先発起用しました。
「一軍に昇格させることに問題はありませんでした。二軍でホームランを17本くらい打っていましたので。高卒1年目の選手としては十分すぎるほどの結果ですし、一軍登録するからには代打とかでなく、1試合、4打席というなかで経験を積ませたいという思いがありました」
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