王貞治超えの56号、令和初の三冠王...ヤクルト小川GMに聞く「村上宗隆はいかにして日本人最強打者となったのか」 (3ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya
  • photo by Koike Yoshihiro

── 村上選手を一軍に残すか、それとも二軍に降格させるかで、ターニングポイントとなった試合があったと聞きました。

「とにかく村上に関しては、カードのもうひと回りを我慢してくれと。そうしたら巨人戦(4月25日/神宮球場)で菅野智之からヒットを2本打って、ほかの投手からも2本打ったんですよ(5打数4安打)。それで完全に『村上を使い続けよう』と。最初の決断はそこでしたね。そのあとはチームの成績が落ちてしまったこともあり、起用し続けられた部分もあったかもしれませんが、最終的には村上が自分の力で生き残ったと思っています」

── このシーズン、村上選手は未知の経験ばかりで、チーム早出練習では先輩の若手野手と一緒にバットを振り続け、それが終わればひとりで守備練習もこなし、全試合に先発出場して、試合後はベンチ裏で素振りをしていました。

「やっぱり体が強いですね。あれだけ練習してもへこたれなかったですから。遠征に行っても昼間からスイングやって、試合が終わって宿舎に戻るバスを降りてからすぐにスイング。本当によく頑張ったと思います」

── 結果的に2年目は、143試合に出場し36本塁打、96打点を記録しましたが、一方で打率.231、184三振、15失策と課題も見つかりました。

「高卒2年目で36本塁打は本当にすごいですよね。その一方で、打率を含めて数字を伸ばしていくためには三振を減らしたほうが可能性は高くなりますけど、村上には三振を減らすということを意識させたくないという思いがありました。だからといって三振してもいいとは言わなかったですけど、三振するなとも言わなかったですね」

── 2年目の村上選手の置かれていた環境について、チームを俯瞰する小川監督がいて、厳しく指導する宮本慎也コーチ、石井琢朗コーチなどの首脳陣に囲まれていました。

「今の選手たちは現代的な部分を感じるところがすごくあるのですが、やっぱり厳しい人というのは必要だと思うんです。村上がホームランを36本打ったからチヤホヤするのではなく、コーチたちは厳しさを持って対応してくれました。村上にとっては煙たい存在だったかもしれませんが、のちに自分の立場が変わった時に理解できることもあると思うんですよ。村上にとって、そういう人たちは貴重な存在としてよかったと思っています」

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