天国と地獄を味わった湯舟敏郎の92年「優勝も全部、僕がぶち壊してしまった」 (4ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

「中村さん、来ましたね。もう、何を言われたか、覚えてないです。どうしよう......ぐらいしか思えなかったはずです。僕、リリーフしていいことなかったんですよね。ただ、ベンチに入ってたんで、そんなことは言ってられない。勝ってたら、中込は10勝目やったんで、非常に申し訳ないことをしましたね。優勝も全部、僕がぶち壊してしまったので」

 断じてそんなことはなく、残り3試合に全勝すれば優勝だった。だが、次の中日戦を0対1で落とし、残るヤクルト戦に連勝すればプレーオフでの決着となった。迎えた10月10日の試合。湯舟が先発したが、気持ちは切り替えられず、7日の結果を引きずった影響で立ち上がりから失点し、2回で降板した。試合は2対5で敗れ、ヤクルトの優勝が決まった。

「いいことも言っていただきますけども、10月7日は悔やまれるマウンドですね。その年のオフだったと思いますが、中村さんに『出したオレが悪いんや』と、おっしゃっていただいたことはありましたけども、しでかしたのは僕やしなあ......と思うと苦しかったですね。結局、あの場面で抑える能力がなかったということだと思います。本当に」

 中村監督は7日の試合後、「いま一番安定しているピッチャーだからな」と、湯舟への信頼を示していた。その時、記者たちに発した唯一の談話だったという。指揮官にそこまで頼りにされ、球史に名を残す快挙も成し遂げた92年は、湯舟の野球人生でどう位置づけられるのか。

「調子も含めて、92年が一番よかった年だと思っています。翌年のほうがイニングを投げてるんですけども、92年は木戸さんに勉強させてもらい、マイクさん、中込を意識して勝ちたいと思えた。残念な結末になっちゃいましたけども、僕のなかでは中身の濃い、実りの大きい年になったことは間違いありません」

(=敬称略)

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