天国と地獄を味わった湯舟敏郎の92年「優勝も全部、僕がぶち壊してしまった」 (3ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

 先発投手は自分のペースを守ることも仕事。必要以上にチーム状況を気にかけないぶん、たとえチームが連敗中でもプレッシャーを感じずに登板し、連敗を止めることもできる。そう考えていた湯舟にとって、「ムードに乗ったらダメ」と思うのは普通のことだった。

「ただ、後々の結果から考えたら、もっとムードに乗ってもよかったかなと。自分自身、慎重になりすぎたところがあったと思うので。ムードに乗ったら結果がよかったのかどうか、それはわからないですけども」

 自分のペースを守って10月3日、横浜大洋戦に先発した湯舟は、2安打7奪三振で完封。これで同7日の胴上げも見えたなか、次は中4日で中日戦の先発が有力とマスコミは予想した。

 しかし予想に反して湯舟は、中込が先発した7日のヤクルト戦でベンチ入り。田村勤が左ヒジの故障で離脱して以降、抑えを固定できていない事情もあったが、湯舟のペースは乱された。

天王山でまさかの救援登板

 この時、阪神とヤクルトは勝ち負けとも同数で首位に並び、どちらも残り4試合。当然、勝てば有利になる7日の試合は阪神が9回表まで3対1とリード。中込はその裏も続投したが、先頭のハウエルを遊飛に打ちとったあと、広沢克己に四球、続く池山隆寛には安打され一死一、三塁。ここで中村監督が動き、中込に代えて湯舟をマウンドに送った。

「代打で出てきたのが八重樫(幸雄)さんでした。あの時、僕、前半戦最後の試合のヤクルト戦で、8回に八重樫さんに逆転2ランを打たれたんです。その裏に逆転してもらって、結局は勝ち投手になったんですけど、それをパッと思い出してしまいましたね。だから歩かせたわけじゃないんですけども、『あっ、まずいよね、ここでホームランは』って思ったのはたしかです」

 打たれた記憶が要因ではないにせよ、ゼロではなく、八重樫を四球で出して満塁。捕手も専任の木戸に代わっていたが、球に勢いがなかった。中村監督がマウンドに行って声をかけるも、続くパリデスには1球もストライクが入らず、連続四球で押し出し。リードは1点になって中西清起に交代したが逃げきれず、最後は荒井幸雄の左前タイムリーでサヨナラ負けとなった。

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