八木裕が語る、判定が覆った「幻のサヨナラホームラン」。史上最長6時間26分を戦うも引き分けで「あの試合に勝っていれば......」 (4ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

 それこそ、八木が言うように「幻のホームラン後に打線が湿り出した」ことが敗因だったのか。あるいは、投手陣が疲れていたのか。

「一番は打線が湿り出したことです。なんで『幻のホームラン』のあとにそうなったのか、原因はわかりません。ただ結果論ですけど、引き分けた9月11日の試合に勝って、9日の広島戦から8連勝していたら、本当にラクに戦えたはずです。となれば、若い人にもプレッシャーはかからないで、得点能力も落ちなかったと思うんです」

 遠征で10敗したうち、10月7日のヤクルト戦でサヨナラ負けしたことが「決定打」になった。八木はそう述懐するが、同9日の中日戦は優勝を争う相手ではなかっただけに、0対1で負けた記憶が強く残っているという。最後、同10日の甲子園でヤクルト戦に敗れ、野村克也監督が胴上げされたときの心境はどうだったのか。

「私自身、初めて優勝争いをして、盛り上がって、ファンの皆さんが喜んでくれた。残念さは当然あるんですけど、いいシーズンだったな、また来年も頑張れるという充実感はありました」

 93年以降、八木はケガが多くなり出番を減らしていったなか、晩年は「代打の神様」と呼ばれる活躍。そして、2004年限りで現役引退となったが、03年には、92年に果たせなかった優勝を経験することできた。

「それはもう私自身、運がよくて、そこまで現役でいられたというだけです。残してくれた球団に感謝しなきゃいけない。ただ、2003年に優勝の喜びを味わえたことで、92年の負けがただ悔しいだけではなくなったんです。自分のプロ野球生活の歴史のなかで、92年は惜しかったけど『そういうのもありだな』って割り切れて、救われました」

(=敬称略)

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