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亀山努のトレードマークとなった「ヘッドスライディング」は真弓明信への一途な思いからだった (3ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

 反面、プロ20年目で38歳のベテラン外野手・真弓明信は開幕こそ「6番・ライト」でスタメンを果たすも3打数無安打。2戦目からベンチに控えていた。前年まで通算1830安打、287本塁打、830打点を記録し、83年は首位打者。「史上最強の1番打者」と称され、85年の日本一に大きく貢献した強打者も、若手に押されていた。その筆頭が、真弓自らキャンプで打撃指導をした亀山だった。

「監督が、真弓さんを外して僕を使ったということなんです。だからその後、勝ち負けとか、自分が楽しいとかしんどいとか、抜きです。『このままいける』と思ったこともまったくなかった。真弓明信というスーパースターを下げる代わりに使ってもらってるんだから、『そんなんだったら真弓を出したほうがいいじゃない』って言われることは絶対あっちゃいけないと思ってました」

 中村監督が亀山を抜擢した理由には、前年12月に甲子園球場のラッキーゾーンが撤去された事情もあった。左中間、右中間が8メートルも深くなり、強肩で足のある選手が求められたなか、監督は「打撃で勝負強い真弓は捨てがたい。ただ亀山には期待している」と公言していた。しかし一軍で実績のない亀山自身、「真弓さんを外して僕」という起用は重責でしかなかった。

「そうすると、投げるのも、打つのも、走るのも、全力でやるしかない。打てなくても塁に出たい、とにかくセーフになりたくて頭から突っ込む。それで何試合まで持つか、全力でやり続けてどこまでいけるか、っていう気持ちだけだったので......たぶん、必死さは伝わったのかなと。もしも手を抜いたら真弓さんに失礼だと。それだけでした」

 コーチの勧めで背番号を「67」から「00」に変更。プロとして目立つために赤い手袋、クラシックスタイルのストッキングを着用。すぐに目が痛くなるコンタクトレンズをやめ、ヤクルトの古田敦也に紹介された衝撃に強い眼鏡を採用。そうして臨んだシーズン、ヘッドスライディングが亀山のトレードマークになった背景には、「真弓さん」への一途な思いがあったのだ。

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