ダイエーにFA移籍した工藤公康の「ダメ出し」で城島健司も一流に。型破りの「新人類」は、常勝イズムの伝道者となった (2ページ目)
ファッションも先輩との付き合いも型破り
――工藤さんのサヨナラヒットが突破口となったんですね。
石毛 そういった雰囲気に持っていけたきっかけになったと思います。あいつの性格だと「野手陣は何をやってんですか。僕でも打てるのに、しっかり打ってくださいよ」みたいな気持ちがあったんじゃないですかね。そういうことを言うタイプの人間ですし(笑)。工藤たちの世代は先輩にも物怖じしないというか、それまでの若者とは違う印象でした。
――工藤さんをはじめ、渡辺久信さん、清原和博さんらも含む世代は"新人類"と呼ばれていましたね。言動やファッションなどに新しい価値観を持っていることが注目され、"新人類"という言葉が流行語大賞・流行語部門金賞を受賞(1986年)しました。
石毛 まずファッションが違いました。野球選手でジーパンをはき始めたのも彼らだと思いますし、いわゆる『メンズノンノ』とかファッション雑誌のトレンドを取り入れた格好をしてくるわけです。それがもう、我々にとっては真新しかった。「なんや、その格好は。野球人が、ようそんな格好をできるな」となるというか、そういう固定概念を壊してくれたんです。
ただ、ナベちゃんはスラッとしていてスタイルがいいから格好良よかったけど、工藤はちょっとぽっちゃり系だからそんなに似合っていませんでした。それを、あたかも似合っているように着こなしている、という感じでしたね(笑)
――明るいキャラクターだった印象もあります。
石毛 いつも挨拶は「おはようございまーす!こんちわー!」みたいな軽いところがあったし、先輩から食事に誘われると「今日は用事がありますから無理です」と平気で断るんですよ。私なんかは東尾さんや森さんから「今日、飯食いにいくぞ!」と言われれば、「はい、わかりました!」と当然のようについていった。でも、彼らは先輩に対して「NO」と言える。そういう感覚や振る舞いがありましたね。
――コミュニケーションの感覚も違っていた?
石毛 私たちの世代は、先輩が誘ってくれた食事の席でいろいろな話を聞いたり、人脈を作ったりしたものですが、"新人類"と言われた彼らにとってそれは必要なくて、「俺たちで遊ぼう」みたいな感じだったんじゃないかな。
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