ダイエーにFA移籍した工藤公康の「ダメ出し」で城島健司も一流に。型破りの「新人類」は、常勝イズムの伝道者となった (3ページ目)
新人の城島を一流にしたダメ出し
――石毛さんと工藤さんは、長らく西武の投打の中心として活躍されたあと、ともに1994年オフにダイエー(現ソフトバンク)にFA移籍されました。ダイエー時代の工藤さんは西武時代と比べて変化はありましたか?
石毛 ダイエーは専務の根本陸夫さんが王貞治さんを監督として招聘したり、秋山幸二や工藤、私もそうですが、強かった西武の選手を獲得することで、「ホークスの野球を強くしたい、優勝したい」という熱意にあふれていました。
私もそうだったし、工藤もそうだったと思いますが、移籍した人間は周囲の目がけっこう気になるものです。そういうこともあり、練習からしっかりと取り組む姿勢を周囲に見せる意識でやっていましたね。工藤は子供ができた時期だったこともあって、責任感が生まれたのか、野球により真摯に取り組んでいる姿が印象的でした。
――ダイエー時代の工藤さんといえば、若い頃の城島健司さんとバッテリーを組み、配球などを指導していた姿が見られました。
石毛 私と工藤がダイエーにFA移籍した年のドラフト1位が城島でした。当時の城島はキャッチングが下手だったんです。オーストラリアでのキャンプの時だったと思いますが、工藤のボールを受けていた城島がキャッチングのダメ出しをくらっていました。
でも城島はへこたれず、工藤に「こういうときはどうしたらいいんですか?」などと質問したりして、食らいついていた。そのおかげもあって上達していきましたね。城島は一流の捕手になりましたが、プロ入りしてすぐに工藤のような投手の球を受け、厳しい指導を受けたことは大きかったと思いますよ。
――1999年に11勝を挙げた工藤さんは、同年のダイエー初の日本一に大きく貢献するも、シーズンオフにFA宣言して巨人に移籍します。その際、ダイエーのファンから工藤さんの残留を願う17万人以上の署名が集まったそうです。その後、7年もの歳月をかけ、署名したファンの全員に感謝の手紙を書いて送ったといいます。
石毛 自分もその話を聞いたことがありましたが、凄いと思いますよ。本人だけで書いたのか、奥さんとの共同作業なのかはわかりませんが、仮に誰かからアドバイスを受けていたとしても、なかなかできることではありません。それだけファンに対しての思いがあったんでしょうけど、工藤の人間性を感じる話ですよね。
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