「もしあの出来事がなければ...」。10年ぶり夏の甲子園を決めた早実・斎藤佑樹が感謝する泥だらけの指揮官からのメッセージ (3ページ目)
2006年夏、日大三を下し10年ぶり夏の甲子園出場を決め胴上げされる斎藤佑樹この記事に関連する写真を見る
サヨナラで10年ぶり夏の甲子園
僕にとっては最後の夏、三高にも僕たちにも執念のようなものがたぎっていました。同点タイムリーを打った川西がサードでタッチアウトになった時も、興奮のあまり我を忘れて相手に失礼な態度をとってしまいましたが、これもひとつのプレーにガムシャラになっていたからだと思います。もちろんすぐに謝る冷静さは必要だったと思いますが、最後の最後は、ここまで来たら絶対に負けられないという意地と意地のぶつかり合いでした。試合はまだ終わりません。
11回表、ツーアウトから(6番の村橋勇祐に)ツーベースヒットを打たれて、ここで三高のキャプテン、池永(周平/準決勝まで4、5番を打っていたが、この日は7番)君を迎えます。ツーボールからスライダーでストライクをとった4球目、キャッチャーの白川(英聖)がワンバウンドを止められず、ランナーが3塁へ進んでしまって、カウントはスリーボール、ワンストライク。
ここで僕はずっと練習してきたインコースいっぱいの真っすぐでフルカウントに持ち込みます。さらに、次も同じインコースへのストレート。そのボールを池永君にレフトへ痛烈に弾き返されました。このライナーを、(レフトの)船橋がいったん下がってから前へ出て、最後は両ヒザついての拝み捕り(笑)。
このシーンのことは今もハッキリ覚えています......なぜだろう、あの一球が勝ちにつながったと思っているからかな。あの力のある池永君をインコースのストレートで抑えられたこともそうだし、船橋が盛り上げてくれたこともあったし、あの回を乗りきったことは、僕にとってすごく大きかったと思っています。
そして11回裏、檜垣(皓次朗)のツーベースと船橋のサヨナラヒットで早実が5−4でサヨナラ勝ち......僕たちは10年ぶりの夏の甲子園出場を決めました。サヨナラの瞬間、僕はネクストバッターズサークルにいたんです。「よし、オレが打って決めてやる」と思っていたところを、船橋に持っていかれた(笑)。
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