「僕のなかでベイスターズが最後の球団」。10年ぶり復帰・藤田一也の古巣愛と新たな覚悟 (3ページ目)

  • 田口元義●文 text by Taguchi Genki
  • photo by Sankei Visual

 二軍で55試合に出場し、130打数38安打、打率2割9分2厘。守備ではセカンドとサードを守りノーエラーだった。それでも、本来いるべき居場所には届かなかった。

【現役続行を支えてくれた仲間】

 一軍が熾烈な上位争いを繰り広げていた9月末、藤田の携帯電話に着信があった。球団からである。そこでは詳細を告げられなかったが、覚悟を決めた。

 その翌日に球団事務所に行くと、予想していたとおり戦力外を通告された。「そうか......」。一瞬だけ虚無感に襲われたが、すぐに自我を取り戻した。石井一久GM兼監督からの配慮ある言葉も、純粋にうれしかった。

「僕は"戦力外"って言葉を使いたくない。選手としては来年契約することはできないけど、楽天にとって一也は戦力であることに変わりない。来シーズンは選手以外のところでチームを支えてほしい」

 それは、コーチの打診だった。一軍はレギュラーシーズンを戦っており、来シーズンの組閣は白紙だ。にもかかわらず、自分のポストを用意してくれた。藤田は最大限の誠意を提示してくれた球団に頭を下げた。

 ただ、その場でこそ回答を保留したが、気持ちはすでに固まっていた。

「プレーヤーをあきらめきれません」

 藤田は選んだ道を球団に伝え、9年半過ごした楽天を離れることを決断した。

 自らの意志。そして家族や仲間、ファンの想いも、藤田の現役続行をあと押しした。しかし、戦力外からDeNA復帰までの約2カ月間は「孤独だった」と振り返る。

 最初の自主トレ先である地元徳島では、鳴門第一(現・鳴門渦潮)と近大時代の同級生たちが。楽天の二軍施設を借りての練習でも、後輩たちが練習を率先して手伝ってくれた。

「投げましょうか?」

 涌井秀章が打撃投手を買って出てくれた。

「そうやなぁ。来年、おまえと対戦するかもしれへんから、ちょっと癖でも盗んどくわ」

 時間にして20分程度。冗談を交わしながらも涌井の気持ちを噛みしめるように、藤田は1球1球、ボールを打ち返した。

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