移籍しにくい日本のFA制度。2度FA宣言の谷繁元信は「選手に甘えが出てくるシステムは変えるべき」
【短期連載】なぜ日本のFA制度は活用されないのか
第2回「選手と監督、両方の立場でFAと向き合った谷繁元信氏の主張」
日本のプロ野球にフリーエージェント(FA)制度が導入され、28年目のオフを迎えた。選手会が「移籍の活性化」を求めたことがきっかけで生まれた制度だが、この冬はほとんど活用されなかった。
全部で97選手がFAになる権利を保有したなか(複数年契約を結んでいる選手も含む)、宣言したのはわずか3人。そのうち新天地を選んだのは、中日ドラゴンズから福岡ソフトバンクホークスに移籍した又吉克樹のみだった。
制度の趣旨を考えると、機能不全に陥っているのではないか。そう指摘するのは、大洋ホエールズ・横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)と中日で27年間プレーした谷繁元信氏だ。
第1回はこちら>>「日本のFA制度は機能不全となっている?」
山田久志監督(左)率いる中日にFA移籍した谷繁元信(右)この記事に関連する写真を見る「FA制度が日本で始まって30年近くになります。そろそろ見直したほうがいいというか、遅いぐらいですよね。どんどん移籍しづらくなっている。もっと選手たちが動けるようなFA制度になっていけばいいと思います」
谷繁氏自身、現役時代にFA権を2回行使している。1度目は27歳を迎えた1997年オフ、横浜に「宣言残留」した。
「まず、今の自分がどういう思いでプレーしているかを考えました」
1997年シーズン、横浜は9月上旬まで優勝争いを繰り広げ、ヤクルトに次いで2位に終わった。1988年ドラフト1位で江ノ川高校から指名されて9年目の谷繁氏にとって、確かな手応えが残ったシーズンだった。
自身初のふたケタ本塁打を記録し、"扇の要"として128試合に出場。チームが弱かった頃から多くの試合で起用してもらったことで、攻守で引っ張る存在に成長することができた。周囲を見れば石井琢朗や波留敏夫、鈴木尚典ら年齢の近い選手がピークに差しかかり、夢に見た優勝を狙える位置まできている。
「横浜というチームで、とにかく勝ちたいという思いが最初に出てきました。FAをして"ヨソ"に出ていく選択肢は消えましたね」
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