移籍しにくい日本のFA制度。2度FA宣言の谷繁元信は「選手に甘えが出てくるシステムは変えるべき」 (2ページ目)
【2度のFA宣言で考えたこと】
そして1997年のオフ、谷繁氏はFAを宣言し、横浜と4年契約を結んだ。
「FAの権利を使えば、当時は再取得までに4年間かかりました。自分の意思を表示するためにFAを宣言し、権利を横浜に買ってもらったということです。それが正当な考え方だと思うんですよね」
プロ野球で労使にあたる選手と球団にとって、売買するのは「契約」だ。谷繁氏はFAという自身の「権利」をベイスターズに買ってもらい、再取得する4年後まで契約を結んだ。
一方、球界では昨今、「宣言せずに残留」する選手が増えている。今オフは広島の九里亜蓮がそのひとりで、新たに3年契約を結んだ。条件のひとつとして、推定1億円の再契約金がつけられたと報じられた。
このニュースは世間的にさらっと流されたが、筆者は「違和感を覚えた」という球界関係者から連絡をもらった。FA権を保有したまま再契約金が発生するのは、たしかに保留制度やFA権の趣旨を考えると疑問符がつく。
あくまで一般論として、谷繁氏も近年の風潮に違和感を抱いていると言う。
「FAの権利を持ったまま複数年契約を結ぶのは、フェアじゃないと思います。再契約金が発生する場合もありますが、FAの権利を持ったままそういう契約をするのは『ちょっと違うのでは』と感じますね」
1997年オフに宣言残留した谷繁氏は翌年、ベイスターズで悲願のリーグ優勝、日本一に輝いた。自身は134試合に出場し、ベストナインとゴールデングラブ賞に選ばれている。
それから3年後の2001年オフ、2度目のFA権を取得した。去就を決めるうえで考えたのは、自身の置かれた状況だった。
同年12月に31歳を迎える。結果的に45歳を迎える年まで現役生活を続けられたものの、当時はあと4〜6年くらいの選手生命だと思っていた。
とりわけ気がかりだったのは"職場環境"だ。当時の森祇晶監督と意思疎通がスムーズに行かず、不信感を募らせていた。
「ベイスターズが嫌になったわけではありません。自分がレギュラーとしてある程度の地位にきて、結果も残した。そうしていくうちに30歳をすぎ、今後、選手としてパフォーマンスがそんなに上がることはない。今の状態を維持していきながら、あと何年プレーできるか。そう考えた時、1、2年を無駄にしたくないという気持ちが強くありました」
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