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「犬猿の仲」高橋慶彦×正田耕三、禁断の対談が実現。「天才やもん、あいつ」と頭にきていた選手は?【2021人気記事】 (4ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • 布川航太●撮影 photo by Nunokawa Kota

―― 高橋さんは左右の感覚がつながってから、左手で箸を持てるようになるなど、能力が開発されたと話しています。正田さんもその感覚は理解できますか?

正田 わかります。でも、もちろん最初はわかりませんでしたよ。最初なんて、ボールのよけ方すらわからないんだから。(右投手の)スライダーが体に向かってきた時に、よけるんじゃなくて腕が出ましたから(笑)。

高橋 わかるわかる(笑)。別世界やったな。

正田 ほんま怖かったです。

高橋 でも、俺はよく言うんやけど、スイッチヒッターは誰でもできるよな。

正田 できます、できます。なんでしないんですかね?

高橋 必要ないんよ。足の速いやつはみんな小さい頃に左に変えられて。

正田 あぁ~。逆に左から右って聞かないですもんね。

高橋 俺たちの頃は右打者のまま大人になって、柴田勲さん(元巨人)という先駆者がいてスイッチになるやつが多かった。今はその必要がないから。

―― 高橋さんは、「スイッチヒッターになると、視野が広がる」という説も唱えていました。

高橋 守備でも周りがよく見えて、状況判断が早くなるね。右脳と左脳が両方きれいに使えているからじゃないかなぁ。

正田 故障も少ないですよ。

高橋 ああ、バランスがな。確かに、腰を悪くしたことなんか1回もないから。

正田 普通、あれだけ振っていれば腰を悪くしますよね。

高橋 今の子はちゃんとそれを知っているから、スイッチヒッターじゃなくても逆振り(反対の打席での素振り)をするんよ。

正田 僕ら1日1000球も1500球も振っていて、逆でも同じだけ振ったら丸1日かかりますよ。

高橋 でも、数の勝負だよな。よく「無駄な練習をしたくない」という声を聞くけど、無駄な練習なんかないから。

正田 それは僕も思います。

高橋 体に覚えさせるしかないやろと。まあでも、俺たちの頃とは今は違う野球になってるから。大谷(翔平/エンゼルス)なんて、もう次元が違うだろ。「もうええ」って思っちゃうもん。最近、俺飽きてきたよ。「またホームランかよ」って(笑)。

正田 すごいですよね。

 二人の濃密な思い出話は、よりディープさを増していく。話題は広島の猛練習や人間関係、そして「飛び蹴り事件」へと向かっていった。

(中編につづく)


【Profile】
高橋慶彦(たかはし・よしひこ)
1957年、北海道生まれ。1974年ドラフト3位で広島東洋カープに入団し、1978年からレギュラーとして定着。赤ヘル黄金時代の「1番ショート」として活躍し、1989年までカープでプレー。1990年にロッテ、1991年に阪神に移籍し、1992年に現役を引退。ダイエー、ロッテでコーチを務め、多くの選手を育て上げた。現在は指導者、解説者として活躍しながら、YouTubeでの活動も展開中。

正田耕三(しょうだ・こうぞう)
1962年、和歌山県生まれ。1984年ドラフト2位で広島東洋カープに入団。1987年、スイッチヒッターとして初の首位打者(2年連続)に輝くなど、攻守にわたり活躍した。引退後は広島、近鉄、オリックス、阪神で多くの選手を指導。韓国リーグでもコーチを務めた。

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