石毛宏典が語る広岡達朗と森祇晶。西武の黄金時代はどのように組織化されていったのか (2ページ目)
2人の名将について語った石毛氏 photo by Murakami Shogoこの記事に関連する写真を見る――キャプテンに任命されていたわけではなかった?
石毛 キャプテンに任命されたのは、「チームリーダー」と呼ばれるようになったあとのことですね。森さんが「(チームリーダーという)漠然としたものじゃダメだ。キャプテンをやれ。キャプテンは監督やコーチのスタッフ会議にも参加しなさい」と。当時は自分もベテランになってきていたので、会議に出て監督やコーチが考えていることを選手たちに伝えることを託されました。
逆に、「選手たちの意見を聞かせてくれ」とも言われましたね。監督・コーチと選手との間に壁があったわけではないと思いますが、風通しのいい組織にすることを目的にキャプテンをスタッフ会議に入れることは、それまでのプロ野球界ではなかったことでした。
――森監督からかけられた印象的な言葉はありますか?
石毛 それがあまり思い出せなくて......。森さんのストレス解消法なのかわかりませんが、あっちに行ってブツブツ、こっちに来てブツブツとつぶやくことはありましたけどね。「石毛、実はあいつがこうで困っちゃうんだよ」と私に言ってきたあとに、その選手とのところに行って「実は石毛がこうで......」と言ってみたり。選手同士がつながりがあるにもかかわらず。
信頼関係ってそういうことで崩れていくこともあるじゃないですか。客観的に見れば、チームの問題をどうやって解決するか、どうやってレベルアップしていくのかを考えての、コミュニケーションの取り方のひとつだったのかなとは思うんですけどね。勝負事は勝てば官軍ですし、結果がすべて。森さんは9年間で8度のリーグ優勝と日本一にも6回なっているわけですから。
――石毛さんは幾度となく日本シリーズに出場されていますが、一番印象に残っているのは?
石毛 巨人に4連勝した1990年です。その時の西武が、黄金時代のなかでも頂点だった気がします。日本シリーズは、セ・リーグの覇者とパ・リーグの覇者が戦うわけですから、そんなに力の差はないはず。そんななかで4連勝したことで、パ・リーグが強くなってきた、西武が強くなってきたということを世間に強烈にアピールできたんじゃないでしょうか。
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