2021.09.09

ヤクルト野村克也監督と交わした「稲葉篤紀の打撃」論。八重樫幸雄はどう納得させたのか

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Kyodo News

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【稲葉篤紀について、ノムさんと打撃談義】

――前回は侍ジャパンの金メダルについて伺いましたが、今回からは侍ジャパンを率いた稲葉篤紀さんについてお話を聞いていきたいと思います。稲葉さんは1995(平成7)年から2004年までヤクルトに在籍していました。八重樫さんが、稲葉さんと最初に対面したのはいつですか?

八重樫 稲葉と宮本(慎也)は同期入団なんだけど、彼らが入団してきた時は、僕は二軍のバッテリーコーチだったんです。稲葉も慎也もほぼ一軍生活だったので、この年はまったく接点はなかったですね。僕が1996年に一軍のバッテリーコーチになってからは、彼らと行動を共にするようになったんだけど......とはいっても、僕はバッテリーコーチなんで、ピッチャー、キャッチャーと接することが多かったんですよ。

ヤクルト時代の野村克也監督(左)と稲葉篤紀ヤクルト時代の野村克也監督(左)と稲葉篤紀 この記事に関連する写真を見る ――そうなると、本格的に稲葉さんと接するようになるのは、野村克也監督が退任して、若松勉監督が就任した1999年からということになりますか? この年から八重樫さんは一軍打撃コーチを務めることになりました。

八重樫 そうですね。稲葉にしても、慎也にしても、1999年から密に接するようになりました。そうそう、その前の二軍監督時代に、稲葉について当時のノムさんとじっくりと話し合ったことがあるんですよ。

――それは、どんなシチュエーションで、どんな内容だったんですか?

八重樫 1997年、僕が二軍監督だった時に、当時フェンスがなかった戸田球場ではなくて、きちんとフェンスがある球場で試合経験を積ませたかったんで、球団に頼んで立川の市民球場とか、神宮球場で二軍の試合をすることが多かったんです。それで、二軍が昼、一軍が夜に神宮球場で試合がある日があって。その試合前の打撃練習中に、稲葉について野村さんと話をしました。

――どんな内容だったんですか?

八重樫 当時、秦真司という左バッターがいましたよね。ノムさんが秦と稲葉の話題を切り出したんです。「おいハチ、どうして秦も稲葉も、インコースの速いボールを打てないんだ?」って聞かれたんですよ。