西武・栗山巧が2000安打を達成。「こんなに練習できる子を見たことがない」という高校時代のエピソード

  • 安倍昌彦●文 text by Abe Masahiko
  • photo by Kyodo News

 西武・栗山巧が9月4日の楽天戦の9回に牧田和久のカーブをレフトに弾き返し、史上54人目となる通算2000安打を達成。西武の生え抜き選手による達成は1950年の球団創設以来初のことだった。試合後、栗山はこんなコメントを残した。

9月4日の楽天戦で史上54人目の通算2000安打を達成した西武・栗山巧9月4日の楽天戦で史上54人目の通算2000安打を達成した西武・栗山巧この記事に関連する写真を見る「今シーズン中に達成したいと思っていましたのでよかったです。まだあまり実感がなくて、こんな感じなんだな......というのが正直なところですね。相手が(元チームメイトの)牧田だったので、ホームランを打ちたかったんですけど(笑)。おかわり(中村剛也)が花束を笑顔で持ってきてくれたので、なんだかお互いぎこちなかったですけど『ありがとう!』と言って受けとりました。

 今日の試合でもライオンズ側のライトスタンド、それから三塁側にも僕のタオルを掲げてくれている方々の姿が目に入りました。あの風景を見て、本当にうれしさがこみ上げてきました。たまたま自分が球団生え抜きでは初めてになりましたが、偉大な大先輩たちの背中を追ってきた結果だと思います」

 栗山は2001年のドラフトで西武から4位で指名され入団。7年目の2007年からレギュラーの座をつかむと、その後もコンスタントな活躍を見せ、チームにとってなくてはならない存在となった。

 その栗山について、高校時代から見ていたが、じつはバッティングを高く評価していたわけではなかった。

 2000年の春先だったと思う。当時、私は『野球小僧』(白夜書房)という雑誌で記事を書いていて、そのなかに何百人ものドラフト候補と彼らの評価、寸評が掲載されたページがあった。当時、高校2年生だった栗山も有望選手として取り上げさせてもらったが、評価は「△」だった。

 前年の秋の明治神宮大会。まだ1年生だった栗山は「3番・レフト」で出場していた。出塁した初球でいきなり二盗を決め、さらに次のボールで三塁にスタートをきったから驚いた。猛然とスライディングした時のスピードと、眉をつり上げた必死の形相に"狂気"すら感じたものだ。

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