エースの200勝達成を目前にリリーフ失敗。ヤクルトの「サッシー」はプレッシャーに苦しんだ (2ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

――だから、松岡さんに対して八重樫さんも檄を飛ばしたと、以前に言っていましたよね。

八重樫 松岡さんに言ったのは、「若手がみんなプレッシャーを感じているんだから、松ちゃんがもう少し踏ん張らなくちゃダメだ。あと1イニング頑張って、若手をラクにさせてあげなよ」というようなことはよく言いました。でも、結局は191勝で引退することになるんですけどね。

――現在、200勝を目指す石川雅規投手と同じような状況ですね。

八重樫 石川の後を投げる若手も、「石川さんのために」という思いは強いと思いますよ。もちろん、石川もその点はよくわかっていると思います。石川だって、若手の負担を減らすために長いイニングを投げたいだろうけど、あくまでも継投は首脳陣の判断ですからね。とにかく、石川には200勝目指して頑張ってほしいですよ。

――記録を見ると、関根潤三監督時代の1987、1988年頃になると酒井さんは中継ぎ投手として安定した成績を残すようになっていますね。

八重樫 この頃になるとストレートへのこだわりは完全に消えていましたね。ピッチャーとしてモデルチェンジに成功したんだと思いますよ。もちろん、本人の中にも「このままじゃいけない。何かを変えなければ」という思いが強かったんだと思います。ただ、その後はひじや肩の故障が相次いで、野村克也監督時代に現役引退となったんですけどね。野村さんも、酒井に対しては丁寧に接していた印象があります。

――八重樫さんが引退する時も、野村監督はかなり気を遣われたそうですね。

八重樫 1993年限りで僕が引退した時も、「日本シリーズにはベンチ入りして、ブルペンの面倒を見てくれ」と丁寧に説明を受けたし、ベテランに対しては長年の功績をきちんと尊重して引退の花道を作ってくれる方でした。酒井に対しても、そうだったと思います。長年、いろいろな監督の下でプレーしてきたけど、そんな監督は野村さん以外にいなかったですね。そういう意味では、引退時の監督が野村さんでよかったです。

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