夢も希望もなかった17歳の帰宅部員は、4年後に球界を代表するスピードスターとなった
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連載『なんで私がプロ野球選手に⁉』
第5回 和田康士朗・前編(第1回から読む>>)
プロ野球は弱肉強食の世界。幼少期から神童ともてはやされたエリートがひしめく厳しい競争社会だが、なかには「なぜ、この選手がプロの世界に入れたのか?」と不思議に思える、異色の経歴を辿った人物がいる。そんな野球人にスポットを当てるシリーズ『なんで、私がプロ野球選手に!?』。第5回に登場するのは、和田康士朗(ロッテ)。高校時代は野球部ではなく、陸上部に在籍した変わり種。プロ野球とは無縁の世界にいたはずの男は、どのようにして球界屈指のスピードスターの座に上り詰めたのだろうか。
球界屈指のスピードスターとして活躍するロッテ・和田康士朗 22歳の若者はインタビュー中、終始落ちついた受け答えを見せていた。時に控えめな笑顔を見せることはあっても、大きな感情の揺らぎはうかがえなかった。
だが、最後の質問に対しては初めて言葉に詰まり、意を決したように口を開いた。
「高校生の頃からやりたいことが本当に何にもなくて、親も心配していたんです。野球をやっていなかったら、たぶんそのまま高校を出て大学に行って、普通の仕事をしてたのかな......と思います。BCリーグのトライアウトを受けると親に言った時は、『やりたいことが見つかってよかったね』って言われましたから」
私が投げかけた最後の質問は、こんな内容だった。
── もし高校時代にクラブチームで野球をやっていなかったら、どんな人生だったと思いますか?
夢も希望もない17歳の帰宅部。それが4年後、プロ球界屈指のスピードスターになると誰が想像できただろうか。
和田が野球を始めたのは小学4年の時だった。市の川小スポーツ少年団の久保翔大は「ドッジボールをやっていた和田が野球チームに入ってくる」という情報を耳にして、喜びを覚えたという。
「和田の足が速いのは小学校でも有名でしたから。同学年の仲間が増えてうれしかったですね」
ふたりはその後、「ワダ」「ショーダイ」と呼び合う親友になる。小学生時の和田について、久保はこんな印象を抱いていた。
「肩が強くて足が速い。バッティングも遠くに飛ばすパワーがあって、ずば抜けていました。最初はピッチャーをやっていましたが、コントロールが悪かったので外野やファーストをやっていました」
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