「全打席ホームラン狙い、ヒットは打ち損ない」と長池徳士は言った (2ページ目)
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練習でも盗む。これは、同じくクセを盗んでいた高井さんからは聞けなかった話で、長池さんがチーム内でリーダー的存在だったことも伝わってきた。
「だからそういうことがあって、まあ、僕みたいなもんでも打てるようになって、それが32試合連続安打というものにもね、つながったんじゃないかと思いますよ」
ごく自然な流れで記録の話が出た。71年5月28日の南海(現・ソフトバンク)戦から7月6日の西鉄(現・西武)戦まで32試合、40日間にわたって、長池さんはヒットを打ち続けた。79年、広島の高橋慶彦が33試合連続安打を達成するまでは日本記録だった(現在もパ・リーグ記録)。
「ただね、おおよそ、僕みたいなタイプが作るような記録じゃないでしょう?」
実際、僕は意外だと思っていた。連続安打記録といえば、足の速い左の好打者タイプが作るもの、というイメージがある。高橋慶彦はスイッチヒッターだが俊足であり、30試合連続の記録を持つ張本勲(元・東映ほか)、福本豊(元・阪急)は象徴的。そういう意味で、長池さんのようなホームランバッターは意外なのだ。
「自分でも不思議なんです。その間には自打球が足に当たったり、4の0だったのが延長戦になって打てたり、何度か途切れそうなピンチもあって、記者の人にも連日あおられたけど、何とか続きました。でも、27試合のパ・リーグ記録を抜いて、これで新記録と思った途端、1リーグ時代の31試合が出てきたときは参りましたね。阪急の大先輩、野口二郎さんの記録でした」
野口二郎の記録は1946年、本人も周りも気づかぬ間に作られ、3年後の再調査で掘り出されたという。当時は戦後間もなかったことで記録も注目されず、野口が投手でもあったために見落とされたらしい。
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