ヤクルトのドラフト9からスタメンに。広岡達朗がつきっきりで育てた守備職人 (4ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

――以前、広岡さんにインタビューした時に、「自分は水谷からいろいろなことを教わった」と言っていました。その理由としては「丁寧に指導すれば、人は必ず育つのだということを確信したから」だと言っていました。

八重樫 そうでしょうね。どれだけ厳しくやっても食らいついてくるから、広岡さんとしても、「これで育たなかったら、オレのせいだ」という気持ちになったんでしょう。昔、ヤクルトに益川満育というハーフの選手がいたんです。1968年に外野手兼投手として夏の甲子園を優勝した選手で、プロでは打者だったんだけど、彼も食らいつくタイプでしたね。

――益川選手は、近鉄の伊勢孝夫さんと交換で、1977年シーズンからは近鉄に移籍していますね。

八重樫 せっかく広岡さんに期待されていたのに、試合に出るようになってから夜遊びを覚えて、二日酔いで練習に来るようになった。最初は広岡さんも我慢していたんだけど、結局それが治らずに、トレードに出されることになったんです。水谷とは対照的な結果となりましたね。水谷の思い出話、次回も続けましょうか。

(第73回につづく)

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