ヤクルトのドラフト9からスタメンに。広岡達朗がつきっきりで育てた守備職人

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

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【とんでもなく足の速いルーキーが入団した】

――前回までは「ライフルマン」こと、船田和英さんについて伺いました。前回のラストでもチラッと出ましたが、今回からは、船田さん同様、グラウンドに出る前には必ず鏡をチェックしてユニフォームの着こなしを意識していたという、ヤクルトV1戦士のひとり、水谷新太郎さんについて伺いたいと思います。

八重樫 水谷は僕の2年後輩で、三重高校から1971(昭和46)年のドラフト9位でプロ入りしたんですよ。水谷が入団してきた頃、ベースランニングの練習でチームの中で一番足が速かったのは、僕だったんです。

ヤクルトの広岡達朗監督(右)から守備の指導を受ける水谷新太郎ヤクルトの広岡達朗監督(右)から守備の指導を受ける水谷新太郎この記事に関連する写真を見る――以前も、「若い頃は足が速かった」と伺いましたが、ベテランになってからの八重樫さんの印象が強すぎて、「足が速い」という情報がスムーズに頭に入ってきません(笑)。

八重樫 いやいや、本当に体型もスリムで足も速かったんだから(笑)。僕より1年後に入団してきた山下慶徳さんと僕が、チームでは瞬足の部類だったんです。そこに水谷が入ってきて計測したら、初めてベースランニングで14秒台を切ったんですよ。当時、僕が14秒2くらい、山下さんも14秒1とか、そんな感じだったんだけど、水谷はアッサリと13秒8くらいを記録したんですよね。

――それは個性的な「武器」を持った新人選手ですね。

八重樫 そうですね。だから、水谷が入ってきた時の印象は「とんでもなく足が速いのが入団してきたな」という感じ。ただ、バッティングはまだまだでしたね。内野守備に関しては、足が速いから守備範囲は広かったけど、送球の確実性は今ひとつでした。

――足は速いけど、バッティングは非力で、守備も安定性には欠ける。それでも、抜群の脚力を持った俊足選手。そんなイメージだったんですか?

八重樫 まさにそんなイメージだったよ。高校からの入団だったので、チームとしても長い目で育てるつもりだったんじゃないかと思います。実際に、入団してから数年間は二軍暮らしだったし、一軍デビューもプロ3年目のシーズン終盤でしたから。

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