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ソフトバンクからの5位指名に嘉弥真新也は「なんで?」。自分のことより先輩投手のドラフト漏れに驚いた (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro
  • photo by Kyodo News

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 練習参加から1時間と経たずに体調不良を訴えた嘉弥真だったが、その後なんとかブルペン投球にこぎ着けた。そこで大久保は嘉弥真の腕の振りに目を見張った。

「体はヒョロヒョロだけど、リリースの強さがありました。真っすぐにキレがあるし、スライダーは手元でグッと曲がる。当時の投手コーチで、同じ左ピッチャーの高橋憲幸(元日本ハム)に聞いたら『獲りましょうよ!』と後押しがありました」

 嘉弥真はJX−ENEOSへの採用が決まった。残念ながら不採用となった宮里は、「あんな強豪に行って大丈夫かな?」と嘉弥真の身を案じた。当然、本人も強い不安に襲われていた。

「伊吹木とセットで行きたかったので、ひとりで行くと決まった時は『マジか......』と思いました。野球で初めて関東に出ることになったので、勇気がいりましたね」

 待遇は正社員ではなく、2年区切りの契約社員。チームでひとりだけ野球部寮に入れなかったが、不満はなかった。むしろ「ひとりで住むほうが気楽でいいな」とアパート生活を謳歌した。武蔵小杉から渋谷に向かおうとして、電車で15分程度のところを2時間半かけることもあったが、徐々に都会での生活になじんでいった。

 チームメイトには同じ沖縄出身の大城がおり、精神的にも技術的にも救われた。嘉弥真は大城への感謝を口にする。

「大城さんにはいろいろと教えてもらいました。コントロールがいいし、しっかりとピッチングができる。こういう人がプロに行くんだろうなと思っていました」

 だが、嘉弥真の社会人生活は思わぬ方向へと転がっていく。2011年3月11日。神宮球場でJABAスポニチ大会決勝を戦う予定だったJX−ENEOSは、試合開始直前に突然の大きな揺れに襲われた。東日本大震災が発生したのだ。

 震災の影響で多くの公式戦が中止になり、8月開幕予定だった都市対抗は秋に大阪で開催された。プロ志望の選手にとって、アピールの場が少ない年だった。

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