2021.04.08

若松勉は「周りに耳を貸しすぎた」。楽天監督説が流れた八重樫幸雄にショックなひと言

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sankei Visual

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【どんなに故障していても、常に万全の準備をしていた】

――今回も若松勉さんについて伺っていきます。前回は、入団当時について尋ねました。若い頃から体も丈夫で、才能に溢れていたとのことでしたね。

八重樫 若松さんは19年間の現役生活で、力を抜く、手を抜くことは一度もなかったですね。ベテランに差しかかって故障がちになった時も、晩年の代打生活でも、若松さんは決して手を抜かなかった。その姿はほかの選手たちに、ものすごくいい影響を与えていたと思います。

1999年からヤクルトの監督を務めた若松勉(左)と、一軍打撃コーチの八重樫幸雄(右)――確かに、常に全力プレーを心がけていた姿は、ファンにもよく伝わっていました。

八重樫 少しずつ出番が減ってきた時期でも、「いつでも先発出場できるぞ」という準備をしていました。自分がどのように起用されるかは、その時々の監督に任せてはいたけど、それでも準備は常に万端でした。

――晩年は故障に苦しめられていた印象がとても強いです。

八重樫 最初は外野フライをダイレクトキャッチしようとして肩を負傷して、それ以降は、いちばん厄介だったのが腰でしたね。それまで、「痛い」なんてひと言も口にしなかった若松さんが、代打専門になる頃から「痛い」と口にするようになっていた。腰の骨、あるいは背骨がズレていたのかな?

――どういう意味ですか?

八重樫 バッターボックスに入った時、いつもと動きが違っていたんです。だから、「若松さん、どうしたの?」って聞いたことがあったんだよね。そうしたら、「うまくハマらないんだ」と言うんです。バッターボックスに入ってバットを構える。そして、スイングをする。この一連の動作がスムーズにできなくなっていたようなんです。あれは、かなりつらそうでした。