「衝撃度は間違いなく中田翔が一番」。名将もホレた投手としての才能

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sankei Visual

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あの時もキミはすごかった〜日本ハム・中田翔編

 中田翔(大阪桐蔭→日本ハム)の甲子園デビューは2005年夏、1回戦の春日部共栄(埼玉)戦だった。2学年上の辻内崇伸(元巨人)、平田良介(中日)の怪物コンビが大きな注目を集めるなか、中田は5回途中からマウンドに上がると、140キロ台後半のストレートとキレのあるスライダーを武器に1失点、6奪三振の好投。

 打っても、テレビ観戦していた中村順司氏(元PL学園監督)に「清原和博の高校1年時を思い出させた」という左中間へ特大の一発を放つなど、衝撃のデビューを飾った。"スーパー1年生"という言葉が定着したのも、この時の中田の活躍からと記憶する。

高校時代、投手として最速151キロをマークしていた中田翔高校時代、投手として最速151キロをマークしていた中田翔 これまで20年以上、アマチュアの取材を続けているが、最も取材をし、最も多く試合を見た選手が大阪桐蔭時代の中田だった。

 初めて話を聞いたのは、甲子園デビューからしばらくした頃。最初はこちらの様子をうかがう感じだったが、すぐに人懐っこい笑顔を浮かべこちらの質問に答えてくれた。

 中田は中学時代、広島の硬式野球チーム・鯉城シニアに所属していた時から評判の選手で、シニアの全日本メンバーとして世界大会でも活躍。中学時代の話題を向けると、積極的に語ってきたのはバッティングよりもピッチングだった。

「ずっと松坂(大輔)投手が好きでやってきました。松坂さんのように変化球もストレートと同じような感覚で投げて打ち取れる投手になっていきたい。バッティングよりもピッチングが好きで、自信も持っています」

 投打で評判の中学生だったが、「3年の時は試合で勝った記憶がないんです」とも言った。一時期部員が8人まで減り、全力でプレーするのが難しかったという。

「真っすぐを全力で投げたり、変化球を投げるとキャッチャーが捕れなかったり......。勝てないから試合で投げるのがあまり楽しくなくて、その頃は打つほうが楽しいと思うこともありました。でも、どっちが好きかと聞かれたら、やっぱり投げるほうです」

 多くの強豪校が中田に興味を示したが、「レベルの高い大阪でやりたい」と大阪桐蔭への進学を決めた。

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