入団拒否、浪人生活、猛バッシング... 巨人愛を貫いた男たちの波乱万丈【2020人気記事】
新型コロナ渦に見舞われた2020年。スポーツ界も東京五輪・パラリンピックの延期決定など多くの打撃を受けた。そのなかでもスポルティーバでは様々な記事を掲載。2020年に配信された記事のなかで反響が大きかったものを再公開する(9月8日掲載)。
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「巨人以外からの指名はお断りします」
近年はそう公言するドラフト候補はまったく見かけなくなった。
高校生のドラフト候補にオフレコで「どの球団に入りたいですか?」と聞いてみると、だいたい「12球団どこでもいいです」という答えが返ってくる。具体的な球団名が挙がったとしても、だいたいは日本ハムかソフトバンクである。
今のドラフト候補にとっては「巨人ブランド」よりも、自分を使ってくれる球団、大きく育ててくれる球団に魅力を感じているということだろう。
ダイエーへの入団拒否から1年後、巨人に1位指名された元木大介
これまでのドラフトの歴史は、大半が巨人を軸に展開されてきた。1978年にドラフト制度の盲点を突いた「空白の一日」から結果的に巨人入りを果たした江川卓など象徴的だが、国民的球団への入団を希望する選手は珍しくなかった。
なかには元木大介のように、1989年にダイエーからドラフト1位指名を受けながら入団を拒否し、ハワイで1年間浪人した後に翌1990年に巨人入りした例まである。
現役選手のなかで「巨人愛」を貫いた選手も少数ながら存在する。現在は西武に所属する内海哲也は、敦賀気比3年時に2000年ドラフトの目玉格だった。
祖父・五十雄が巨人に在籍した元選手だった縁もあり、内海は巨人以外から指名があった場合は拒否して社会人の東京ガスに入社する姿勢を打ち出した。
だが、巨人は1位で中央大の阿部慎之助、2位で立教大の上野裕平と、当時大学生・社会人に認められていた逆指名権を利用して2位までの指名が固まっていた。内海は3位以降で指名される予定だった。
ところが、ドラフト当日にはオリックスが内海を1位指名する。高評価に内海の気持ちも揺れかけたというが、巨人が内海と高校でバッテリーを組む李景一を8位で指名したことで風向きが変わる。その後、オリックスとの入団交渉で内海は拒否姿勢を明確に打ち出し、当初の予定どおり東京ガスに入社した。
3年後、プロ解禁となった内海は巨人を逆指名して自由獲得枠で入団を果たす。背番号は祖父と同じ26番だった。
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