中日移籍後0勝で開幕投手に。川崎憲次郎「かすかな希望を抱いていた」 (5ページ目)

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke
  • photo by Sankei Visual

 通算16年の現役生活で237試合に登板し、88勝81敗2セーブ、防御率3.69。最多勝と沢村賞にそれぞれ1回輝き、オールスターには4度選出された。最後は引退試合を開いてもらい、恵まれた野球人生だった。

 中日で4年間を過ごした名古屋を去る際、当地にできた仲間たちから「出ていかないでくれ」と惜しまれたという。川崎自身、後ろ髪を引かれる思いだった。

「東京に家を建てたから引っ越したけど、離れたくないくらい魅力的な街でした。東京と比べても買い物には困らないし、中心地から車で20分走れば静かな環境になる。名古屋の人たちはみんな、最初はよそ者に身を構えているんです。でも、人の中身がわかると変わる。中日に来た選手は、チームからも名古屋からも大事にされますからね。うちの家族はみんな、『名古屋に行きたい』と言っています」

 高卒12年目の2000年オフ、川崎は自らの意思でFA宣言した。3本の道から決めた中日入団は、自身と家族を幸せにする選択だった。

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