トライアウト受験→別業種に転身。「あの人」たちは今どこで何をしているか (2ページ目)

  • Text by Sportiva
  • photo by Sankei Visual

 当時、トライアウト終了後に松澤が語ったのは、「巨人には感謝の気持ちしかない」という球団に対する感謝の言葉だった。そこには松澤の入団経緯が大きく関係していた。

 松澤はアイランドリーグ挑戦初年度である2015年のドラフトで、巨人から育成3位指名を受けていた。独立リーグ挑戦から1年で切り開いたNPBへの道。当然入団するつもりだったが、痛みを隠しながらプレーし続けていた左手が悲鳴を上げる。入団前の身体検査で「左手手指関節靭帯損傷」が発覚。治療期間が長引くことから、入団辞退を余儀なくされた。

 香川残留が決まり、「前年を上回る成績を挙げ、支配下でNPBに行く」と目標を定めたが、故障の影響もあり、前年の成績を下回った。不安を抱きながら迎えたドラフトでは、待てど暮らせど自分の名前が呼ばれない。諦めかけたときに、育成8位で自分の名前を呼んだのが、前年にも指名を受けた巨人だった。

 育成指名を2度受けたのは、松澤が球界唯一。その恩を強く感じていたからこそ、豪快で力強いプレースタイル同様、カラッとした笑顔で球団への"恩"を口にした。

 そんな松澤の性格が功を奏してか、現役引退後は約30社から「ぜひウチで働かないか」と打診を受けた。その中から「将来的には社長にも」と熱烈なオファーを受けた会社があった。香川県高松市にある建設会社で、独立リーグ時代から松澤の魅力をよく知る企業でもあった。その会社で営業経験を積んだあと、現在は幼稚園や保育園で出張野球塾を行なう会社「C.L.C」を起業。代表として、野球の面白さを伝えようと奔走している。

 2009年から5年間ロッテでプレーした本格派右腕の山本徹矢も、野球と関係のない異業種に転身したことが話題になったひとりだ。2011年に1軍で11試合登板するも、右肩を痛め、2013年に戦力外通告を受けた。同年のトライアウトを受験し、打者4人に対して無安打、与四球1と好投したが、他球団からオファーがなく現役引退を決断した。

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