2020.04.01

山本昌の話に漫画家・二宮裕次が驚き
「スクリューは遊びで教わった」

  • 菊地高弘●構成 text by Kikuchi Takahiro
  • 松田崇範●写真 photo by Matsuda Takanori

球界のレジェンド・山本昌氏×『BUNGO−ブンゴ−』二宮裕次先生対談(前編)

『ヤングジャンプ』で好評連載中の野球マンガ『BUNGO−ブンゴ−』。作者の二宮裕次先生は愛知県生まれで、大の中日ファン。今回、最新22巻の発売を記念して二宮先生のたっての希望で、元中日の大エース・山本昌氏との対談が実現。中学時代は補欠だったという山本昌氏がいかにしてプロ入りを果たし、球界のレジェンドへと成長していったのか。濃密な野球談義が繰り広げられた。

中日の大ファンという二宮裕次先生(写真左)と元中日の大エース・山本昌氏二宮 はじめまして。じつは、私は根っからの中日ファンでして(笑)。今日はお会いできて光栄です!

山本昌 ありがとうございます。こちらこそ、『BUNG-ブンゴ-』を読ませてもらいました。

二宮 重ね重ね、光栄です。

山本昌 野球人口が減っているなかで、こうした作品があるのはいいことだと感じました。少年が成長していく過程が丁寧に描かれていて、共感させてもらいました。僕なんて、小中学生の頃は補欠でしたから。

二宮 えっ、昌さんが補欠だったんですか?

山本昌 僕が所属していたチームに、茅ヶ崎で一番有名なピッチャーがいたんです。小学校、中学校と、ずっとその子に勝てなかったんです。

二宮 それは意外です。控え選手で、どうしてモチベーションを保てたのでしょうか?

山本昌 やっぱり「試合に出たい」という思いがありました。何もせずに負けたくはなかったので。父親が朝5時からピッチング練習に付き合ってくれて、中学2年からは毎日欠かさず4キロ、ジョギングをやっていました。寝っ転がりながら天井に向かってボールを投げて、いい回転で返ってくるような遊びもしていましたね。

二宮 なんとかうまくなりたい、と努力されていたんですね。