広澤克実が語るロス五輪金メダルの真実「チームワークなんてなかった」 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Kyodo News

 だからあの時、日米大学選手権だけで帰国するチームメイトが羨ましくてね。僕も心底、帰りたいと思っていました。でもそんなの無理なんで、帰国する仲間を見送ってから、オリンピックに選ばれていた大学生6人でロサンゼルスへ向かったんです。

 当時の全日本は20人で、社会人の選手たちは14人。彼らは日本で練習して、さあ、オリンピックだということでロサンゼルスへ来ることになっていたんですけど、僕らと合流するまでの3、4日、学生だけで練習しなくちゃいけない時期がありました。

 でも6人じゃ、何もできないじゃないですか。試合形式の練習もできないし、できるのはランニングとキャッチボールくらい。グラウンドだけは立派なヤツが4面、使い放題なわけですよ。そしたらグラウンドキーパーの人たちが、「俺たち、ソフトボールのチームつくってるんだけど、お前ら、ソフトボールできないのか」と言われて、僕ら学生は、本隊が到着するまでソフトボールをやっていたんです。和気あいあいの雰囲気のなかで、ソフトボールでホームランをパカパカ打っていたんですよ。だから、みんなからスーパーマンなんて言われて、イエーイって、楽しくやってたんです。

 えっ、(松永)監督ですか? こんな話、言えるわけないじゃないですか(笑)。今も知らないと思いますよ。だから本隊が合流した瞬間、松永色一色になったから、あまりの様変わりぶりにグラウンドキーパーの人たち、ビックリしちゃってね。全員、ピリッとして、苦虫をかみつぶしたような顔でね。私語厳禁、練習中に笑うなんてもってのほか。そんな雰囲気のなかで練習しているんですから......。

 あのチームでいろいろと注意してくれたのは東芝の福本(勝幸)さんと、キャプテンだった熊野(輝光、日本楽器)さんです。あのふたりが「生徒会長」でしたね。朝の6時からミーティングがあって、僕ら、そんな時間ですから眠いじゃないですか。散歩中、眠そうな顔をしてると、そのふたりが怒るんです。「お前ら、ちゃんとしろ」って。内心、「うるさいなぁ」と思っていました。

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