八重樫幸雄が語るヤクルト80年代投手「能力が菅野より上と思うのは...」 (4ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

――打たれたら、先輩である八重樫さんのせいにしていたんですか?

八重樫 さすがにそれはなかったけど、秦(真司)がマスクをかぶっていたときには、よくベンチで秦を叱っていたよ。だから、中本には「イヤなら首を振ればいいだろ。結局は投げるのはお前なんだから」って言ったこともあったな。

――1980年代の投手陣、懐かしいですね。あの頃はすごく弱かったけど、それでも30年以上も経過すると、すべてが懐かしく感じられますね。

八重樫 1980年代の低迷は僕らキャッチャーのせいでもあるよね。でも、言い訳になるけど、当時は誰もキャッチャー、バッテリーを指導できる指導者がいなかったんだ。僕の場合も、野村(克也)さんが監督になって初めて、配球や打者心理について学んだから。だから、当時はよく古田(敦也)に言いましたよ、「お前は幸せだな、いい時期にプロ入りしたな」って。そういう意味でも、野村さんのヤクルト監督就任は大きかったし、古田もそういう運を持った男だったんだと思いますね。

(第12回につづく>>)

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