2019.11.12

門田博光、金田正一を偲ぶ「あの人が来て
暗いパ・リーグに花が咲いた」

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News

 金田正一氏の逝去から1カ月が過ぎた。金田氏の数え切れないほどの伝説をいくつも目にしたが、あらためて400勝という途方もない数字に驚くばかりだ。現在の野球ファンにとっては、完全に歴史上の人物といった感覚なのだろう。

 そんな金田氏がロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の監督を務めたのは、1973年から78年までの6年と、1990年から91年の2年の計8年間。突然の訃報にふれ、監督としての金田氏を思い出した方も多くいるに違いない。かつて南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)の主砲として活躍した門田博光もそのひとりだ。

「亡くなったことを知ったのは、(10月)7日の朝。テレビを見ていたら突然(ニュースが)流れてきて、『えっ……』って止まってしもうた。名球会の上のメンバーのなかでも一番元気やと思うとったし、もう何年も会ってなかったけど、たまにテレビで見ても変わっていなかったのでね。僕らの時代のスーパーマンやから、まさかその人がと……頭のなかがクエスチョンになった」

 門田の言う「名球会の上のメンバー」とは、王貞治氏、長嶋茂雄氏らを指していたが、たしかに年齢的には最年長の金田氏は、もっとも病の気配を感じさせない人だった。

 門田は金田氏の現役引退の翌年にプロ入りしたため、選手として直接対戦したことはないが、監督と選手という立場で戦うことになる。

「僕がプロ入りして少し経ってから金田さんがロッテに監督として来たんですよ。それは大ニュースでしたね。金田さんは現役の最後は”Gマーク(巨人)”をつけて400勝を達成されて。そんな野球界のトップに立った人がロッテの監督になるって言うんやからね。『ほんまに来るんか?』って、みんな思っていました。

 僕らが若かった頃のパ・リーグは、いろんな意味でどん底やった。球場はいつもガラガラで、待遇面でもプロ野球とは思えないものがあったし、注目度も低かった。パ・リーグのトリプルクラウン(三冠王)とセ・リーグのワンキング(一冠)が並べて語られるような時代やったから。すべてがGマーク中心に回っていた。選手もみんなGマークにしがみついていたなか、金田さんはロッテに来た。重光武雄オーナーから『ロッテを盛り上げてほしい、パ・リーグを盛り上げてほしい』と熱心な誘いがあったからやと思うけど、金田さんの登場でパ・リーグに火がついたところがあった」