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門田博光、金田正一を偲ぶ「あの人が来て
暗いパ・リーグに花が咲いた」 (4ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Kyodo News

 その一方で、気の短さを伝えるエピソードも多く語られている。訃報が流れた際、張本勲氏が「一番ケンカしたのは私でしょう」とコメントを出していたが、門田曰く「そのとおりでしょう」ということだ。

「これも名球会のハワイの時ですけど、ふたりでやり合ったことがあったんですよ。みんなで話し合いをしている時に張本さんが突っかかっていったら、金田さんが怒って......それをナンバーワン(王貞治氏)やナンバースリー(長嶋茂雄氏)が止めに入ったけど、収まらん。金田さんも張本さんもバリバリ元気な頃やから、そら迫力ありましたよ(笑)」

 そして門田は「それにしても400勝でしょう」とつぶやき、話題は投手・金田正一の話になった。この先、破られることはもちろん、この記録に迫る者も現れないアンタッチャブルレコードとして輝き続けるに違いない。その大きな理由として、門田は次のように語った。

「なぜ追いつき、追い越すのが無理なのか。もちろん、とんでもない数字やけど、ひと言で言うたら、簡単に福沢諭吉(お金)が手に入る時代になってしまったから。そこまで数字を求めて技術を追求せんでも、十分な給料がもらえるでしょ。僕らの時代、3割、20本塁打、80打点でも『外野手はそれぐらい当たり前や』って言われて、年俸は上げてもらえなかった。だからこっちも、40本にこだわりをもって、それをクリアしたら『次は60本や!』ってチャレンジし続けた。

 金田さんも最初はGマークの選手じゃない(国鉄スワローズ)なか、途轍もない数字を残して、球団にも世間にも認めさせてやろうとトライを続けた結果の400勝やったはず。もし今、400勝を目指してスタートした選手がおったとしても、すぐに『なんでそこまで数字にこだわらないとあかんねん』と逃げてしまうはず。数字に挑むというのは本当に辛い作業ですから。今はそこまで突き抜けた数字を残さなくても、福沢諭吉がようけ入ってくる時代。これからこの先、400勝投手が現れない一番の理由とちゃうかな」

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