2019.09.18

西武を救った辻発彦の一瞬の判断。
野村克也は「お前のプレーで負けた」

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

西武×ヤクルト “伝説”となった日本シリーズの記憶(37)

【リードオフマン】西武・辻発彦 前編

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 四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある。

 1992年、そして1993年の日本シリーズ――。当時、”黄金時代”を迎えていた西武ライオンズと、ほぼ1980年代のすべてをBクラスで過ごしたヤクルトスワローズの一騎打ち。森祇晶率いる西武と、野村克也率いるヤクルトの「知将対決」はファンを魅了した。

 1992年は西武、翌1993年はヤクルトが、それぞれ4勝3敗で日本一に輝いた。両雄の対決は2年間で全14試合を行ない、7勝7敗のイーブン。両チームの当事者たちに話を聞く連載19人目。

 第10回のテーマは「リードオフマン」。現在は埼玉西武ライオンズの監督を務める、辻発彦(辻は本来1点しんにょう)のインタビューをお届けしよう。

現役時代、セカンドでゴールデングラブ賞を8回受賞した辻 photo by Sankei Visual【「野村野球」は、確率、統計の野球】

――1992(平成4)年、翌1993年にわたって繰り広げられたライオンズとスワローズの日本シリーズについて、当事者の方々にお話を伺っています。辻さんはこの2年間について、どのような思い出がありますか?

 まぁ、すごいシリーズでしたよね。ともに7戦目まで進んで、どっちに転んでもおかしくないシリーズでしたから。注目されたのは森(祇晶)監督と、野村(克也)監督による、「キャッチャー出身監督対決」だったんじゃないかな。よく、「キツネとタヌキの化かし合い」って言われていましたよね。どっちがキツネなのかはわからないけど(笑)。

――後に辻さんはヤクルトに移籍し、「森野球」と「野村野球」をともに経験されていますが、両監督の違い、あるいは類似点はどんなところにありますか?

 野村さんはバッターとしても一流の成績を残していますから、「打つこと」にも意識を持った監督だったと思います。一方の森さんは、完全にディフェンス重視。ピッチャーを中心に「守り勝つ」ことを意識されていた監督だと思いますね。

――1992年当時、盛んに喧伝されていた野村監督による「ID野球」については、どのような意識を持っていましたか?

 後にヤクルトに移籍して、あらためて確信しましたけど、ID野球というのは、結局は確率の問題だと思いますね。そこに、バッター心理、ピッチャー心理、キャッチャー心理を加味したもの。確率であり、統計の野球だと思いますね。

――シリーズ前には「ID野球」対策などしたのですか?

 僕自身は「IDがどうのこうの」と考えたことはなかったですね。もちろん、状況に応じた打撃を意識しますけど、基本は「真っ直ぐ待ちの変化球対応」というのは崩しませんでした。自分のスタイルを崩すことはよくないと思っていたので。