大村巌がコーチ就任後すぐに難題「糸井嘉男を1カ月でなんとかしろ」 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Kyodo News

「聞いて、その選手のプロセスを知ったからこそ、自分が言う言葉を用意できる。選手も『この人は僕のことを多少なりとも知ってくれている』といった安心感があると、口を開いてくれる。だからまず、心を開かせて、今、何に取り組んでいるのか、どう思って取り組んでいるのか、というところは徹底的に聞いて、こちらはその取り組みをサポートするような感覚でしたね。それでうまくいかなかったら、じゃあ、こういう方法があるねと。違う引き出しを与えて『やってみたらどうだろう』って、うながすんです」

 二軍なのだから、試行錯誤をして、ある程度の時間がかかるのは仕方がない。そう考えていた矢先の2006年4月、大村はコーチ1年目にして異例の指導を任されることになる。投手・糸井嘉男(現・阪神)の打者転向が決まり、「専属コーチ」に指名されたのだ。糸井は自由枠入団3年目ながら制球難が改善されず、当時のGM 高田繁が野手としての潜在能力に懸けた。大卒の糸井に時間はかけられない、ということで、GM と専属コーチの間でこんなやり取りがあった。


入団3年目に投手から野手に転向し、球界を代表する選手になった糸井嘉男入団3年目に投手から野手に転向し、球界を代表する選手になった糸井嘉男「糸井を1カ月でなんとかしろ」
「1カ月なんて無理です。2年ぐらいかかります」
「いや、そんな時間ねえんだよ」
「時間ないって、いろんなことがありますので......」
「いや、1カ月でもう試合に出さすから。お前は(二軍の)試合を見なくていい。ずっと付きっきりでやれ」

 早速、鎌ヶ谷の室内練習場でマンツーマンの指導が始まった。大村は50項目におよぶ糸井専用カリキュラムを組み、1日に3~4時間。最初は200球ほど打つと音を上げていた。まだ投手への未練もあっただけに、1カ月後に打者として二軍の試合に出る目標を伝えたうえで、大村は糸井に聞いた。

「まず、どういうバッターになりたい? ホームランか、打率か」
「ホームラン、打ちたい」
「ああ、そう。まあ、ホームランバッター目指すのもいいんだけども、打率3割を3年続けたらすぐ1億円プレーヤーだよ、今の時代」
「じゃあ、そっちにします」

 大村は糸井のスイングを見て、「打率を残せてホームランも打てる打者になれる」と確信していた。が、あえて方向を明確にしてモチベーションを上げさせたのだった。

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