渡辺久信が振り返る伝説の日本シリーズ。「西武にエースはいなかった」 (3ページ目)

  • 長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

――1988年と1990年は、いずれも勝利投手になっていますね。

渡辺 そうですね。後に森(祇晶)監督の「日本シリーズは2戦目重視で戦う」という発言を耳にしましたけど、当時はそんなことは何も知らずに投げていましたね。でもこの頃、うちは毎年優勝して、毎年日本シリーズに出ていましたけど、僕にとって一番大事なのは、ペナントレースを勝ち抜くことでした。そして日本シリーズはお祭り騒ぎじゃないですが、ペナントとは違った意識を持っていましたね。ある意味、"ペナントのご褒美"という感じ。当然、ペナントレース開幕戦のマウンドと、日本シリーズ初戦のマウンドは意識が違いました。

――どのように違うものなのですか?

渡辺 シーズン開幕戦のほうがずっと緊張しますよ。ペナントの開幕戦は、感じがつかめない中での「よーい、ドン」のスタートで、手探り状態なんです。でも日本シリーズの場合は、すでにペナントで1年間戦ってきているわけだから、ある程度は自分で感覚をつかめている。同じ「開幕投手」でも、僕にとってはシーズン開幕のほうが緊張したし、ずっと価値のあるものでしたね。

――その考えは、後に監督になってからも同じでしたか?

渡辺 変わっていないですね。今でもそう思っています。日本シリーズの短期決戦はすぐに終わっちゃうものですしね。もちろん、シリーズ独特の緊張感はあるんですよ。僕は若い頃から、「ジャイアンツに勝ちたい。セ・リーグに勝ちたい」という思いをずっと持っていました。ある面ではコンプレックスみたいなものでしたね。だから、日本シリーズに関しては、「パ・リーグの代表として、セ・リーグチャンピオンを倒して日本一になりたい。目立ちたい」という思いがすべてでしたね。

(後編に続く)

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