カスティーヨ、ファンミル...。
相次ぐ事故で知るジャーニーマンの過酷 (3ページ目)
ファンミルも似たようなものだ。20歳でアメリカに渡り、最初はミネソタ・ツインズ、その後ロサンゼルス・ドジャース、クリーブランド・インディアンス、シンシナティ・レッズと契約先は変わったものの、ついにメジャーには上がることはできなかった。
その代わり、観客席もろくにないルーキー級から他国のトップリーグにひけを取らないような立派なスタジアムでゲームを行なう3Aまで、ありとあらゆるクラスでプレーし、実に11のマイナーチームでプレーしている。
オランダでは、国外の球団と契約を結んでも、元いたチームに籍は残すことになるので、母国ではネプチューンズに在籍し続けていることになる。また、2015年オフから参戦したオーストラリアのウインターリーグでは、アデレードバイツで2シーズンを過ごし、今シーズンはブリスベンに移籍。クローザーとしてここまで5度マウンドに登り、防御率4.50 ながら、1勝3セーブを挙げていた。彼もじつに14着のユニフォームに袖を通している。
彼らのような存在を"ジャーニーマン"と呼ぶ。その言葉の響きは決して肯定的なものではない。野球界の頂点であるメジャーリーグでのプレーがかなわず、田舎のマイナー球団でプレーしたり、世界中の様々なリーグに出稼ぎに行ったりする "二流選手"という意味合いが強い。
その語義どおり、彼らはプレーする場がある限り、野球で稼げる限り、声がかかればどこへでも出かけていく。その行き先のなかには、カスティーヨが非業の死を遂げたベネズエラのように、夜道どころか昼間でさえ独り歩きに危険が伴うような場所もある。
カスティーヨの場合、事件に巻き込まれたのは母国であったが、野球で成功した中南米の選手の多くは、そうした危険のある母国に帰ることなく、フロリダやアリゾナに移住する。メジャー、日本をはじめ、長年プレーしたカスティーヨもアメリカでの移住を希望すればできたと思うのだが、彼はプレーすることに最後までこだわった。
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