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カスティーヨ、ファンミル...。
相次ぐ事故で知るジャーニーマンの過酷 (2ページ目)

  • 阿佐智●文・写真 text by Asa Satoshi

 偶然だが、私はこのふたりに昨年の夏、インタビューしている。カスティーヨは、イタリアンベースボールリーグの名門・パルマで、ファンミルはフーフトクラッセの強豪チームであるキュラソー・ネプチューンズでプレーしていた。

 ヨーロッパ野球の現実は、日本とは雲泥の差だ。オランダのリーグは基本アマチュアで、観客から入場料を取るのはファンミルが属している人気チームのネプチューンズくらい。弱小チームともなると公園のグラウンドのようなところをホームにしている。

 各球団は、要するにクラブチームで、選手のほとんどは野球以外に本職を持ち、選手の力量によっては報酬が支払われることもあるというものだ。ファンミルは数少ないプロ契約選手で、ナショナルチームにメンバー入りすれば、そちらからの報酬もあるので、月40~50万円は稼げるのだという。

「オレはこの国で一番のプロ野球選手なんだ」

 日本では、プロ野球選手の報酬とはとても思えない薄給にもかかわらず、ファンミルは胸を張っていた。

 イタリアの野球事情も似たようなもので、2010年に「プロリーグ」として発足したイタリアンベースボールリーグは解体され、現在は元のアマチュアリーグ、セリエAに再編されている。

 とはいっても、両者に大した違いはなく、選手のほとんどは野球選手と他職を兼業しているし、セリエAになっても、トップ選手にはギャラは支払われている。そういうなかで、MLBでレギュラーまで張ったカスティーヨは、月50万円にも満たない給料でホーム球場のスタンドにある一室に住み込みながらプレーしていた。

 カスティーヨがプロ生活で袖を通したユニフォームは、じつに23着。メジャー3球団に加え、マイナー5球団、日本で2球団、さらに台湾やメキシコでもプレーした。

 メジャー時代から、オフシーズンには毎年のように母国のウインターリーグに参加し、6球団に所属した。これにイタリアを含めると、4大陸23球団をバット1本で渡り歩いたことになる。

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