引退示唆の村田修一に提案。
中南米から「世界の盗塁王」のようになれ (2ページ目)
打者にとって勲章でもある2000安打まであと135本。なにより体はまだまだ動く。村田はシーズン途中の補強に動く球団があることを期待して、独立リーグでプレーする道を選んだ。
村田も言っていたように、ここでいくら打ったとしてもNPBから声がかかる保証はない。そもそも、村田がどの程度やれるのかなどは、どこの球団も把握しているはずである。
5月に試合を見たとき、村田は明らかに目標を失っていた。その試合、「4番・DH」で出場した村田は初回に無死満塁という絶好のチャンスで打席に立つも、ボテボテのファーストゴロ。わずか1打席で交代し、早々にベンチへと引き下がった。
試合後、球団は村田の足の故障を発表。その後、しばらく村田はベンチを温めるようになった。そのとき、先の見えないなかでのプレーに、村田の気持ちが切れてしまったのではないかと思った。
それでも村田は、途中で投げ出すことはなかった。まだケガが完全に癒えてないなか、5月12日の巨人との三軍戦で移籍1号となる代打逆転ホームランを放つと、その後、打率も急上昇。
サードの守備にも復帰し、"リミット"と自ら位置づけていた補強期間終了日の7月31日までに42試合で打率.352、9本塁打、44打点と文句のつけようのない数字を残した。
だが、NPB球団から声がかかることはなかった。そして8月1日、村田は記者会見を開き、「来年は野球を続けることはないだろう」と、事実上NPB入りを断念する趣旨を発表した。
「"引退"という言葉は使いたくない」
今後の去就について質問された村田は、こう答えた。野球を限界までやり切ったという気持ちはかけらもないだろう。しかし、プロ野球の世界は契約社会。自分がプレーしたくても、球団から「必要ない」と契約してもらえなければ、その時点で"引退"となる。
そうやってほとんどの選手が球界を去っていくのだが、まさにプロ野球選手の宿命なのかもしれない。それをわかっていながらも、村田は"引退"という言葉を使うのをためらった。おそらく、まだ体が十分に動くことを、誰よりもわかっているからだろう。
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