引退示唆の村田修一に提案。中南米から「世界の盗塁王」のようになれ
「まあ、巨人でも地方球場での試合はありましたからね。別にどうこう言うことはないですよ」
村田修一は薄暗い球場の狭苦しい通路で、ぶっきらぼうにそう答えた。
あれは5月初めの頃だった。今季、村田がプレーしている独立リーグの栃木ゴールデンブレーブスのホーム球場のひとつである栃木市営球場は、収容7000人ほどのNPBの一軍が使うはずのない小さな球場だった。
8月1日に会見を開き、引退を示唆した村田修一 独立リーグの環境はなかなか厳しいものがあるのではないか、という私の質問に対して冒頭のように返してきた村田だったが、返答というより自分に言い聞かせているように感じた。
村田は、横浜(現・DeNA)、巨人で主力として活躍。日本代表としてWBCの舞台にも立った男が、ロッカールームもろくになく、狭い通路で選手が腹ごしらえをするような場にいる現実。村田の場合、徐々に力が衰え、フィールドからベンチへ、そしていつの間にか二軍に身を置くようになり、たどり着いた先が独立リーグだった......というのではない。
昨年まで巨人で一軍の主力として活躍していた人間が、ケガをしたわけでも、力が落ちたわけでもないにもかかわらず、そのような場に身を置かざるを得ない状況に、心中穏やかであるはずがなかった。
「ここで3割打ったからって、NPBが獲ってくれるわけでもないし」
そう言い放った言葉に、村田の苦悩は集約されていた。
昨年、ケーシー・マギーにポジションを奪われながらも、シーズン半ばにはスタメンに名を連ね、118試合で打率.262、14本塁打、58打点と、決して納得できる数字ではないが、出番さえあればきちんと数字を残すことを証明してみせた。
しかし、巨人が出した結論は「チームの若返り」という名のもと、村田を戦力外にすることだった。
当初はすぐに行き先は決まるものだと思われていたが、年が明け、キャンプが始まり、シーズンが開幕しても、どの球団からも声がかかることはなかった。
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