2018.06.12

野村弘樹はヒジ手術をビデオ撮影。
「ノミみたいな器具で骨を削られた」

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

シリーズ「もう一度投げたかった」──野村弘樹(前編)

1998年の日本シリーズ第1戦で勝利を挙げた野村弘樹 高校時代、PL学園の背番号1を着けて甲子園で春夏連覇を果たした野村弘樹。高校卒業後に入団した横浜大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)では1年目から一軍マウンドを経験した。

 すぐに先発ローテーション投手となり、1993年には17勝を挙げて最多勝のタイトルを獲得。1998年には13勝をマークし、チームの38年ぶりのリーグ優勝と日本一に貢献している。しかし、翌年春のキャンプで左ヒジを痛め、手術を行なった。

 手術後も消えない痛みに耐えながら、マウンドに上がり続けた野村は、その苦しみのなかから何を学んだのか。

――野村さんは、1987年に甲子園で春夏連覇を果たしたPL学園のエースでしたが、プロに入るまでに肩やヒジを痛めたことはありましたか?

野村 僕は子どもの頃も、高校時代も、プロ野球に入ってからも、肩やヒジを痛めたことはありませんでした。少しの張りや痛みがあっても投げられましたね。高校時代に甲子園でたくさん投げたことが故障と関係あるかと聞かれたら、僕は「ない」と答えます。僕よりも多く投げた人はいるし、痛みが出ない人もいるから。

――初めて利き腕に異変を感じたのはいつですか?

野村 1999年の春季キャンプです。38年ぶりのリーグ優勝、日本一を果たした翌年でした。毎年、疲労もあって、シーズン始めと終わりではヒジの状態が違う。終わり頃はちょっと曲がってくるので、それをオフの間に鉄アレイなどを使って伸ばしながら鍛えていました。

 優勝したあとのシーズンオフも同じように過ごしていて、自主トレまでは問題なし。でも、キャンプで投球練習をすると、左手の感覚がなくて、前腕がやけに張る。ブルペンで投球練習をするたびに「おかしいな」と思っていました。よく調べてみたら、ヒジに水が溜まっていたんですよ。