2018.06.14

あの左腕エースが引退を「全然悲しくない」
と思うほど痛いヒジの故障

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro
  • photo by Kyodo News

シリーズ「もう一度投げたかった」──野村弘樹(後編)

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 1998年に13勝を挙げ、横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)の日本一に貢献した野村弘樹を、翌1999年の春にヒジ痛が襲った。

 症状の回復を信じて手術に踏み切るも、ヒジの状態は回復せず。日常生活にも支障をきたすほどの痛みを抱えながら、ついに野村は引退のマウンドに上がる。

2002年の引退登板後、佐々木主浩(当時マリナーズ)から花束を受け取る野村弘樹──左ヒジに痛みを抱えながら、野村さんは手術の翌年から一軍で投げています。2000年は29試合に登板(先発登板は14試合)し、2勝8敗、防御率4.38。2001年は14試合に先発して4勝5敗、防御率4.44という成績を残しています。

野村 毎試合、毎試合、痛み止めのボルタレンを3、4錠飲んで、ごまかしながら投げていた。痛みを取るために、気功の先生を訪ねたり、歯の噛み合わせまで治したり……。さまざまな治療を試しましたが、効果はありませんでした。

 プロ野球選手にとっては、痛みがなくなって100パーセントの力で投げられるようになって初めて「成功」なんです。手術自体は成功でも、投げられなければ意味がない。僕の場合は最後まで戻らなかった。手術が合わなかったということなんでしょうね。

──2002年の登板数はわずか3(0勝2敗、防御率13.50)。そのシーズン限りでユニフォームを脱ぐことになりますが、手術から引退の日まで、野村さんはどんな生活を送っていたのでしょうか?

野村 ずっとヒジ中心の生活です。何よりもまず、ヒジのことを考える。普通の生活さえままならなかった。ヒジが曲がらないから、何をやってもストレスばかりで。蛇口をひねるのがつらい。ドアも開けられない。髪も体も満足に洗えない。トレーニングではヒジを鍛えるのに、普通の生活ではなるべく使わないようにしていました。練習中ならまだしも、普段の生活でヒジを痛めるわけにはいかなかったから。