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松坂も続くか。プロ野球「記憶に残る
復活投手」ランキング1位~5位 (5ページ目)

  • キビタキビオ●文 text by Kibita Kibio
  • photo by Kyodo News

1位 村田兆治(元東京オリオンズ、ロッテ)

【ケガの内容:右ヒジ痛】
【復帰後の主な成績:7年141登板、59勝50敗2セーブ】
【獲得タイトル:1985年・カムバック賞 1989年・最優秀防御率】

日本人投手で初めて手術からの復活を果たしたレジェンド

 復活投手の頂点にふさわしいのは、「手術のパイオニア」としても名高い村田兆治だろう。

 左足を上げたときに全体重を右の軸足に溜め、斧を振り下ろすように投げるダイナミックな「マサカリ投法」から、剛速球と伝家の宝刀・フォークボールを投げ込む。そんな全身全霊の投球で、村田は1970年代に数々のタイトルを獲得した。

 しかし、最多勝を受賞した翌年の1982年、右ヒジに激痛が走り、さまざまな治療法と並行して座禅や滝行も行なったが完治はしなかった。一縷(いちる)の望みを託して1983年にスポーツ医学先進国であるアメリカへ渡り、フランク・ジョーブ博士のもとで左の手首の腱を一部摘出して右ヒジに移植する手術を受ける。このトミー・ジョン手術を受けた日本人選手はロッテの同僚、三井雅晴に次いで2人目だった。

 その大英断は功を奏し、約2年に及ぶリハビリを経て、1984年のシーズン終盤に復活登板を果たした。翌1985年の4月には、1073日ぶりとなる涙の完投勝利を飾るなど、その年に17勝を挙げてカムバック賞を受賞している。

 村田は1989年に通算200勝を達成し、40歳となる1990年まで現役を続けた。通算222勝で引退したが、「手術したら復帰はほぼ不可能」とされていた日本球界の常識を覆し、日本人投手が手術による復活を目指す道筋を作ったという意味においても、球界への貢献度は多大だ。

 現役時代、徹底したリハビリと体のケアに明け暮れた村田は、引退後も体の鍛錬を怠らない。68歳の現在も、往年の「マサカリ投法」のフォームを維持して、120キロを超えるスピードボールを投げ続けている。

※ ※ ※

 こうして振り返ると、ひと言で「復活」といっても、その程度やプロセスは千差万別。時代とともに、復帰に向けたパターンも無数に存在している。

 確かなのは、復活登板を果たした後にも多くの困難が待ち受けているということ。完全復活を目指す松坂にとって、この先にあるのは歓喜か、落胆か。

世界を沸かせた投手だけに、再び「自信を確信」に変えて、プロ野球の歴史に新たな復活伝説を築くことを期待したい。

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