川崎憲次郎が明かす、ドラゴンズFA移籍後の「つらすぎる4年間」 (4ページ目)

  • 元永知宏●取材・文 text by Motonaga Tomohiro photo by Kyodo News


――2004年、落合博満新監督から開幕投手に指名され、やっと一軍のマウンドに上がりました。

川崎 年が明けてすぐに落合さんから連絡をもらって、「開幕投手はおまえでいくから」と言われました。その頃はもう肩の状態もよくなっていたので、落合さんに電話をもらった瞬間から、開幕戦を目指して準備をしていきました。あの3カ月間は、モチベーションが高かったですね。

――開幕戦のマウンドに上がり、初回は抑えたものの、2回で降板となります。このシーズンの登板は3試合だけでしたが、当時のご自身のピッチングはいかがでしたか。

川崎 ゼロに近いですね。投げたのは開幕戦ともう1試合、それと引退試合の1イニングだけですから。

――トータルで2回と3分の1でした。

川崎 自分ではもう難しいと感じました。それで落合監督と森繁和ピッチングコーチと話して、ユニフォームを脱ぐことになりました。普通なら、球団から「契約しない」と言われて終わりなんで、そういう場をもらって、僕は幸せ者だと思います。

 10月3日には古巣のスワローズ戦に登板し、古田敦也さん、宮本慎也さん、岩村明憲さんから三振を取ることができました。ドラゴンズの4年間のつらさが吹き飛びましたね。あの試合のことは忘れられません。


川崎憲次郎(かわさきけんじろう)
1971年、大分県生まれ。津久見高校から1988年ドラフト1位でヤクルトスワローズ入団。プロ1年目から一軍で活躍し、1990年から2年連続2桁勝利を挙げた。1993年に日本シリーズMVPを獲得、1998年には17勝を挙げ最多勝利投手、沢村賞にも選ばれた。2000年のシーズンオフに中日ドラゴンズにFA移籍したが、肩の故障のため1勝もできず、2004年限りで引退した。現在は野球解説者として活躍している。

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