川崎憲次郎が明かす、ドラゴンズFA移籍後の
「つらすぎる4年間」
「プロ野球で1億円稼いだ男のお金の話」 川崎憲次郎(後編)
◆「1回10万円以上の焼肉」を語る前編はこちら>
プロ野球選手にとってFA移籍ほど難しい選択はない。その際にはもちろん、金銭的な条件が重要な判断基準のひとつになる。残留を願う現所属チームも、獲得を狙うチームも、そして、当の選手本人も悩みに悩む。
そのまま残るべきか? それとも新天地で勝負をかけるべきか? 2000年シーズンにFA権を獲得した川崎憲次郎は、あのとき何を思ったのか?
2004年10月3日の引退試合で涙する川崎憲次郎
レッドソックスの好条件を蹴って
――プロ入り以来、ヤクルトスワローズでプレーしてきた川崎さんが、他球団に移籍する権利であるFA権を獲得したのが2000年シーズンです。最終的に中日ドラゴンズを選びましたが、結論を出すまでには相当悩んだんじゃないでしょうか。
川崎 はい。僕は、スワローズから出る気はあまりありませんでした。1999年、2000年は成績がよくなくて(7勝11敗、8勝10敗)、思うように勝てないでへこんでいた時期です。
ただ、2000年のシーズン途中にFA権を得たんですが、権利を手にしたら、やっぱり考えますよね。日本シリーズが終わって交渉が解禁になったとき、最初に手を挙げてくれたのがドラゴンズでした。そのあとがボストン・レッドソックス、最後がスワローズで、あまり積極的ではありませんでした。
――当時のドラゴンズの監督は、先日お亡くなりになった星野仙一さんでした。
川崎 星野さんには「おまえが欲しい」と言ってもらいました。すぐに正式な条件提示もあって。でも、3球団のなかで一番条件がよかったのはレッドソックスでしたね。
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