鵜久森、坂口、大松、榎本...
「ヤクルト再生工場」は今もフル稼働中 (3ページ目)
―― 心機一転のふたりが、お互いに協力し合いながら練習をしている姿に心を打たれました。
「あのときはたまたまスタッフの方がいなかっただけで、ティーを上げるのは慣れた人の方がいいですし......僕と坂口さんの置かれていた状況もあって、そういう風に印象に残っているんじゃないですか(笑)。ヤクルトというチームは、本当にフレンドリーといいますか、コーチの方もそうなんですけど、選手がやりやすいように考えてくれるんです。押し付けもないですし、話し合いにしても個々で聞いてもらえます。そういうコミュニケーションが取れることで、僕自身はチームに入っていきやすかったですね」
ただチームは打線の沈黙が続き、6連敗を喫するなど苦しいスタートとなってしまった。そのなかで一軍に残った鵜久森と大松は、それぞれ右と左の代打要員として「何か起こしてくれるんじゃないか」という期待感をファンに与えている。
すでに「何かを起こした」鵜久森の代打サヨナラ満塁本塁打は、OBである岩下正明さんの名前を蘇らせたが、個人的には大野雄次さんのことを思い出した。かつて取材をしたとき、大野さんはこんなことを言っていた。
「1996年のオレのバッティングは神がかっていたよね(笑)。開幕6試合目の甲子園での阪神戦、これがシーズン初打席だったんだけど、8回に代打逆転ホームランを打ってさ。この年はほかにも、2夜連続で9回二死から同点ホームランがあり、満塁ホームランも1本あったしね」
大野さんは1987年に横浜大洋(現・DeNA)に入団。その後、移籍した巨人を戦力外となり、1994年にヤクルトに入団。いわゆる"野村再生工場"で復活を遂げたひとりなのである。
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