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沢村賞の広島ジョンソンが明かす
「人生最大の悲劇」とリーダーの自覚 (2ページ目)

  • ブラッド・レフトン●文 text by Brad Lefton
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 なんと、沢村賞のトロフィーがバラバラに壊れていたのだ。以来、飾ることもできず、届けられたダンボールに入れたままだという。ショックではあったが、ジョンソンは長年培った精神力の強さを発揮し、冷静に現実を受け止めた。

「箱を開けてみたら、グチャグチャになっていたんだよね。ガラスの部分は割れていて、木の部分は剥がれていて......。別に誰かを責めたりするつもりはないんだ。ただ、早く直してもらって、ちゃんと立派な形で見てみたいんだ」

 現在、何が原因なのか関係者たちの間で協議されているらしいが、いずれにしてもトロフィーは元の形で再度、ジョンソンに手渡されることになるという。

 それにしても、来日してわずか2年で、なぜこれほど偉大な投手になれたのだろうか。ジョンソンは昨年行なわれた日本ハムとの日本シリーズのある場面を引き合いに出し、説明してくれた。

 その場面とは、マツダスタジアムでの第1戦の7回表、3-0とリードしていたが、先頭のブランドン・レアードにホームランを打たれ、続く大谷翔平にもヒットを打たれたところだ。

「もし、ボストン時代の自分だったら......動揺してしまって、あの回、絶対に同点になっていたと思う」

 ところが、同点にされるどころか、ジョンソンは続く打者を内野ゴロの併殺で打ち取り、ピンチを切り抜けた。これで勢いに乗った広島は、その直後に2点を奪い、試合を決定づけたのだった。

 技術的にはアメリカにいたときとほとんど変わっていないが、メンタルは間違いなく強くなったとジョンソンは言う。

「昔から知っている人が今の僕を見れば、精神的に成長したところをすぐにわかってくれると思うよ」

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