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引退した元巨人・加藤健が語る、
18年の控え捕手人生と「あの死球」 (4ページ目)

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva 寺崎江月●協力
  • photo by Kyodo News

──その試合で伝統のユニフォームを着るのが最後になりました。

「18年間着てきましたが、戦力外になって、次の日からユニフォームを着ることに重みを感じましたね。いつもは思わないのに、"俺、今日ユニフォームを着てるんだ"と不思議な気持ちになった。ただ、僕の中で(戦力外通告は)いつでもくるものと思っていたので悲しくはなかった。とうとう来たな、と受け入れられた自分がいました」

──結局、他球団への移籍はならず、12月にはチームメートの長野久義選手、山口鉄也選手からの引退試合というサプライズがありました。

「長野から"26日空いてますか? みんなで草野球やるから来てくださいよ"と電話があった。行ってみたら、そういう(送別の)場所を用意してくれていたんです。最後の打席はピッチャーの長野からライト前にヒットを打ちました。試合後には大きな花束をもらって、胴上げもされました。その前にあった捕手だけの集まり、通称・捕手会には、うちのキャプテン(坂本勇人)も自分の用事を切り上げて、僕のためにと駆けつけてくれて、はなむけの歌をプレゼントしてくれました。みんなに感謝しています。最後に野球をさせてもらえたのは、すごくよかったなと思います」

──ところで、引退を機に聞きたいのが2012年、日本ハムとの日本シリーズ第5戦のことです。多田野数人投手が投げたボールが頭部付近に来ました。判定は死球で多田野投手は危険球退場に。しかしその後「当たっていない」と物議を醸しました。実際はどうなのですか?

「ベンチに戻って映像を見たら当たっていなかったです。ボールが顔にめがけてきて、"当たった"と思っているから目もつぶっている。僕はそれまで頭部死球が2回あったんです。その時はヘルメットが割れて、何が起きたかわからなかった。(日本ハム戦の時も)同じように何が起きたかわからず、その場に倒れてしまいました」

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