引退した元巨人・加藤健が語る、18年の控え捕手人生と「あの死球」 (6ページ目)

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva 寺崎江月●協力
  • photo by Kyodo News

──18年間、巨人で学んだなかで特に伝えたいことは?

「技術がレギュラーの選手に届かなくても、人間性や考え方に限界はありません。技術が近づけないのだったら、考え方を変える。人間的にすごい人というのも野球界にはいます。そこに近づくことはできるかもしれない。僕は、違う方向で伸びていきたいと思ってやってきました。ジャイアンツは野球でも人間としても、成長、勉強できた場所でした」

誰もが認める誠実な人柄がプロ18年間を支えた誰もが認める誠実な人柄がプロ18年間を支えた

──いま巨人に感謝したいことは何でしょう。

「数え切れないくらいありますが、何もわからないまま18歳で新潟に出てきて、寮でお世話になりました。寮長の藤本さんや寮母の牧島さんが親代わりのような存在でしたし、家に帰ってきたようなリラックスできる空間を作ってくださった。納豆にネギをたっぷり入れてもらったり、ベーコンを1枚のところ2枚いただいたり(笑)。がんばったら、がんばった分、寮長が喜んでくれる。とても感謝しています」

──今後はBCリーグ新潟の球団社長補佐に就任します。野球をどのように広めていきたいですか?

「僕も18歳で新潟から東京に出てきて、18年が経ちました。新潟のことを知らないも同然なんです。プロでやってきて、自分が感じたことを地元に伝えていきたい。野球教室などもやって、新潟の野球振興に努めたいです。僕が初めてプロとキャッチボールをしたときはインパクトがありました。そういうやる気を出す手助けになれればいいなと思っています。どういうことをすれば貢献できるのか考えながら、僕の中でもスキルアップを感じていければいいなと思いますね」

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