プレーの場を求めて自費でコロンビアに。さすらいの「野球バカ」物語

  • 阿佐智●文 text by Asa Satoshi

「いつも通り、自分でアポをとって行きましたよ」

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 相変わらずこの男の無鉄砲さには驚かされる。男の名は小野真悟──ほとんどの野球ファンは、その存在を知らないだろう。かつてロッテで活躍した投手を思い浮かべる人もいるだろうが、同姓同名の別人だ。だが、この無名の男もある時期まではプロ野球選手の階段を着実に上っていた。

自ら売り込みコロンビアまで渡ったが、プレーできぬまま帰国した小野真悟(写真右)自ら売り込みコロンビアまで渡ったが、プレーできぬまま帰国した小野真悟(写真右) シニアリーグ時代には西岡剛(阪神)や大引啓次(ヤクルト)らとともにフィールドで切磋琢磨していた。東海大仰星高時代には、のちにメジャーリーガーとなる村田透(日本ハム)から2打席連続でフェンス越えを放ったこともある。誰とプレーしても、ひけを感じることはなかった。敷かれたレールの先にはプロ野球があると信じて疑わなかった。実際、プロのスカウトも小野のプレーを見に来ていた。

 高校時に指名はなかったが、卒業後はプロ選手が何人も輩出している地方の大学に進学。そこでの4年間で体をひと回り大きくして即戦力としてプロ入りするつもりでいた。旧知のスカウトも「待っているぞ!」と期待を寄せてくれた。

 しかし、甘くはなかった。小野と同じように考える選手はごまんといる。そのなかで、初心を貫き、大きな故障もなく、プロに到達できる選手はほんのひと握りにすぎないのが現実だ。小野は大学野球の雰囲気になじめずに退部。学校も辞めてしまった。

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