プレーの場を求めて自費でコロンビアに。さすらいの「野球バカ」物語 (2ページ目)

  • 阿佐智●文 text by Asa Satoshi

 それでも小野は野球を忘れることができなかった。故郷の大阪に戻り、フリーター生活の後、野球の専門学校へと進んだ。その後、独立リーグのトライアウトに合格し、国内すべてのリーグを渡り歩いた。気がつけば5シーズンが経っていた。そのときすでに27歳。ドラフト候補としては歳をとりすぎた。

 2012年、「日本でダメなら」と小野が向かった先はアメリカだった。しかし、さしたる実績もない日本人が直面するアメリカ独立リーグの現実は、小野の想像以上に厳しかった。「金ではない」といいながらも、月給200ドルという大学生の小遣いのような報酬ではまともに生活などできるはずもない。そこで小野は、どこに身を置けば成長できるのかを考えた結果、さらなる新天地を目指すことにした。

 翌年、メキシコのマイナーリーグ球団に自ら連絡を取った小野は、またしてもグラブとバットだけを持って海を渡った。しかし、長距離砲を必要としていた球団は、開幕してすぐにリードオフマン型の小野を解雇した。小野はその足でアメリカに渡り、独立リーグのキャンプに参加するが、ここでも開幕直前にリリースされる。

 もはや日本やアメリカのトップリーグでプレーできないことはわかっていた。しかし、体はまだ動く。それどころか、日々、成長を感じることもあった。とはいえ、すでに女房をもらっていた小野には家族を養う義務もある。いつまでも野球にばかりすがっていられない。

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